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日本の危機の認識とプロジェクト・マネジメント活用への提言 (21)

東京P2M研究会 渡辺 貢成: 1月号

Z. 新年おめでとう!良い年明けかな?
芝. おめでとうございます。今私が書いている文章は連載的になっており、読者は前半部分を忘れているに相違ない。
年の初めを記念して各号の脈絡がつくように、アブストラクトを付け加えた。
しかし後半の文章に危機感が増している気がします。
I. 年の初めを記念して危機感の問題をどのように伝えてきたか簡単に抜粋してみた。
日本国の乖離する税収と歳出

    税収 歳出 公債 (兆円)
・1990 日本は製造業世界一位 60 70 10  
・1995 インターネット敷設でグローバリゼーション 53 73 20  
・2000 日本バブル発生、米国企業IT化開始 52 90 38  
・2005 小泉内閣構造改革世界一低い最低賃金決定 50 85 35  
・2010 鳩山内閣誕生 38 95 57  
・2015 安倍内閣:アベノミクス 50 95 45  
・2020 菅内閣:デジタル庁構想        

  1. ⅰ) これまでのわれわれの研究の中で、日本国がグローバリゼーション戦略というカテゴリーで研究してこなかった。そこで追加研究をする予定だ。
    それは日本人が島国で育ったために何から手を付けてよいか、政治家すら考えていなかった課題だったからだ。私はこの問題の解決は韓国サムスンが現在作り上げた方式を学び、日本としての感覚からより優れたものを開発できると考える。
    日本は官僚を中心とした軍団が考えると何をするかという発想は口にするが、完成した姿を提案した人材に遭っていない。最終的な姿がわからないと実行しているうちに目的、目標がわからなくなるからである。PMの手法を正確に実行することだ。
  2. ⅱ) 財務省の計画には欲望があるだけで、ビジョンがない。心棒がない。面白みがない。世界的に出ていくなら十分な企画と面白いビジョンが求められる。
  3. ⅲ) 財務省のデフレに消費増税は論理に合わない。無理押しである。
  4. ⅳ) 国や地方自治が考える発想は規制がつきものになる。規制が邪魔してフレキシビリティが取れなくなる。立体化構造の発想が新規なアイデアが生まれる。
  5. ⅴ) 日本国官僚組織、経団連、学会の密着で憲法が示す3権分立が失せたことで、すべての競争がグローバルレベルの戦いから、国内レベルの競争位に代わり、内容的には社会主義的組織に似た国家に変わりつつあります。競争相手が国内で、第1級組織人グループ(官僚体制、を頂点とする経団連を頂点とするなれ合い企業群、東大卒を中心としたノーベル賞を取らない権威者集団)が第1級人間として、位置付けられ、第2級組織人グループ(第2次戦争後新しい分野成長した新進気鋭談:世界を相手に戦う覚悟の集団)、これからも応援したい若々しい集団の第3級組織人(従来型中小企業改良型第3国)というのは、それを修正する経営者がおらず、覇気のない企業が生きていける国の消費税増加分が勤労者へ戻るはずだったものが、大企業の減税分としてすでに使われている。
芝:
  1. ①私たちは1月号でタックス・イーター【消えていく税金】志賀 桜著初版2014年12月19日の話をしたいと考えていました。その理由は「私たちはオレオレ詐欺に頭を痛めており、それも年間400億円の被害である。これは大変だと国民は思う。しかしオレオレ詐欺は生活脱落者、暴力団関係による攻撃である程度の予防措置があるから国家的危機感とはいえないと考えた。
  2. ②国家的危機感の第一は海外貿易の収支といえる。この案件は1990年製造業世界一となった。しかし、1990年に日本は経済成長率が2%を切り、デフレ状態に近づいた。ここで日本はいくつかの失敗をおかしている。第一の失敗は、経済成長率2%を切るとデフレになるという経済政策を理解していなかったことである。そして逆につくば地区の学園都市計画による土地値上がりに焦点が集まり、好景気と逆の判断をした。失敗の第二は日本お家芸の家電製品のアジア地区での売り方の失敗である。この時期は韓国サムスンの成長が高く、自己商品を日本のアドバイスに従って製品づくりの手法を学び、レベルが上がってきたことがあげられるが、サムスンの方針は製品を現地の人が買える値段とする。使い勝手の良い製品を企画するであったが、それができたのは、10年も前から、現地対応責任者を必ず1名現地に派遣させた。現地の状況を調べ、現地人の意見を取り入れてきたことが成功につながっている。
    危機の第三の要因は平成の経営者、学者、官僚がすべて内向きで覇気がなく、昭和の規格を維持し続けていることだと思う。それは日本の官僚機構が日本全土を配下に規格作りに成功し、その規格作りに天下りシステムを大きな柱として、上流階級化したことに、日本の堕落がある。平成時代に小泉内閣が実施した改革が、日本に不要な上流貴族をつくり、その代償に世界で一番低い最低賃金法を確立した。この確立した官僚、経団連、学者は現役では稼げない収入を天下りという世界に類を見ない上流システムをつくったことで、居心地の良いタックス・イーター一族をつくった。この一族には三権分立などが存在していない。形式的な三権分立があるだけだ。
    私はここで三権分立がない証拠を提供できる。東日本大災害の主役は東電の原発破壊に対する責任なしとする東電の発言である。この事件の発端は巨大地震を想定した電事連の警告を無視した、経済産業省に責任があるが、テレビに経産省の責任者が現れない。米国では原発事故は大統領の責任管轄となっている。これは自然災害ではない。東電以外の2社の原発は防波堤を設けトラブルを起こしていない。もし防波堤がなければ、停電防止のシステム化を強化するはずである。これも実施していない。理由は津波の発生がないと判断したとあるが、判断しなければ責任なしという法律を見せて欲しい。なぜ東電の責任担当副社長が、原子炉への海水注入を阻んだのか? 燃料棒が水面下にないと爆発が起こる可能性がある。燃料棒の破損は時間単位で起こる。

    海外貿易に関する危機感:海外貿易収支として新たに韓国サムスンが、日本の支援を受けて、製品の向上があったこと、アジア諸国に対し、国民が購入できる範囲内の製品をつくることによって、日本製商品がアジア市場から姿を消し、サムスンにとって代わられた。しかし本件は日本側が、日本人が韓国サムスンから技術指導依頼を受け、デジタル化、グローバル化に属する支援を行い、サムスンの努力もあって、日本が開発した半導体DRAMの製造を許可した。これに対し通産省はDRAMの製造許可は日本の10社に許可を与えた。
    一方サムスンはサムスンが使う使用料+韓国内で使う使用料+全世界が使うと思われる量をまとめて生産すると、DRAM1個の生産費が日本の価格の1/10以下になりDRAMの生産は日本で使う分以外は全世界サムスン製となった。これはDRAMを使う日本が開発した商品も生産不能となった。これも第3の危機となった。
    次の危機はアベノミクス実行による国債の利活用に伴う財務省との抗争である。アベノミクス実行を財務省は拒絶した。日本国の国債は官にしか使わせないという日銀規則による中止命令で一時挫折したが、しかし本件はアベノミクス派が浜田宏一イエール大学名誉教授、ポール・クルーグマンノーベル経済学受賞者の紫煙を受け、日銀の規定はおかしいと反論し、日銀は米国側の要請を受け入れたことによって継続できた。

    ところが、上記タックス・イーターとは何との戦いかというと、国民の貯金1100兆円がどこでどう使われるかが全く明確でなく、知らずに数百兆円が消えている問題だという。タックス・イーターの本には幾多の例があり、時代の権力者の腕次第というケースもあるようだ。しかし、今の問題を取り出すのに志賀氏は下記の図1を提供してくれた。私はまずこの図と取り組んで大きな問題にぶつかった。従来は一般会計税収と歳出総額があるだけで、その差がタックス・イーターには民間にない葛藤があるということだ。官庁機構には規制と権限の拡大という戦いがある。その闘いは権力の争奪か、正義の争奪かがある。また逆に以前からの図を比較したいと思ったが、気が付いたことがあった。1990年には60兆円になり91年には60兆円92年には58兆円となっている。私はここでバブル崩壊後の不良資産の改訂等も含めて今までとは異なる手法をと考えた。そこで財務省が困ったのは、91年で横ばい92年は少し減少されていた。他方歳出総額は一般会計税収の10兆円と決まっていた。
    そこで製造業の姿がどうなっているか調べることで簡単に現状維持の内容を調べてみた。日本は戦後の貧困から国民全員で、奇跡的な成長を遂げた。そして1990年には製造業世界一となった。そこで年号が平成となった。現状を調べると、大企業は安定しておりトップが交代する際の決まり文句が、【先代の意思を受け継ぎ、日本を更に高い地位に押し上げたい】であり、国民全員がそのようになる夢を見た。ところが結果はどうだろうか、多くの新経営者が自分より格下の人材を採用していた。昭和時代の大企業の経営者の名前は各新聞に回数多く出るので、国民の多くが名前を知っていたが、平成になったら、大企業の社長の名を知る国民がへり、企業の業績が下がっていった。私は平成元年に日本宇宙開発事業団が実施している“國際宇宙ステーション計画”のエンジニアリングを実施する会社「有人宇宙システム(株)」の設立があり、エンジニアリング会社を代表して、常務取締の地位でサポートすることになった。当時の米国はソ連邦解体の時期(1991年)であり、1995年には「インターネットの敷設」の時代であり、新しい大型プロジェクトが続々と名乗りを上げていた。そこで米国プロジェクト・マネジメント(PM)協会は「PM知識体系」1996年版が完成し、専門エンジニアの資格認定試験を実施していた。また米国では同時に【IT技術を駆使する専門家資格試験】も拡大的に増加させていた。
    さて米国ではここでIT(Information Technology)が突然登場した。またプロジェクト・マネジメントも登場した。この問題を明確に理解しないと、グローバリゼーション下の世界へ進出できないことを知っていた。当然ながら米国のエリートは新しいテリトリーの技術専門家として幅を利かせるようになっていた。
    2000年になるとITに華が開き新しい技術が花を開きました。グローバリゼーションの花形はITになりました。ではITとは何だったのでしょうか。
    ITとはあらゆる情報を集めて、金儲けする企画する手法と考えることでした。私はこの道の専門家は江副リクルート会長だと思っています。
    ITとは何か明確に理解していた点です。彼の発想ではITとは“Information Technology”情報を集めると金儲けができるというもので、その手法を合理的に作り上げた。当時彼の傘下にアマゾン・ドット・コムのジェフ・ベソスが1987年~88年の1年間だったが二人の天才の軌跡が交わった。
    江副会長は自分の企画を1部上場し、この記念として新株を有能な人材に贈呈しました。ところがその新株の人気が高く、新株に高値が付いたため、これは贈与であると、江副氏の業界締め出しを図られ、されに検察庁の東京地検特捜部を使って、これを賄賂と判定させ、日本国のIT化への道を完封させられたことです。そして日本のIT産業は日本的小規模範囲のローカル化に収められた。日本の地検特捜部は捕まえた獲物は必ず殺すことを成功と感じており、世界渡航する船を臨港線並みにすることに成功し、江副氏の成功の芽はすべて切り取られました。日本のおおきな損失でした。
    ここで改めて世界と日本のエリートを定義すると「見えない将来が見える人材が世界のエリートです。日本のエリートは見えていることを着飾る能力者です。」
    1990年から始まったグローバリゼーション下では①自分なりのITを実行できる人材で、世界に影響をあたえる内容のある人②日本的エリートは教科書的知能を備えた人材といえる。
    其れとは別に日本人はIT音痴と言える。私は2000年から「デジタル・ビジネスデザイン戦略」ITの種々の戦略の勉強をしており、プロジェクト・マネジメントの仕事をしても大いに勉強になった。しかし企業が実施しているITは事務的な業務の実施とかが多く、企業のIT部門を請け負って、代行しているところが多い。
    これもそれなりに評価されているが、成長性のある行動をとるIT部門も欲しい。

    しかし現実には経団連傘下の企業が、米国企業のITソフトを購入し、それに沿った経営を実施したところ、経営に支障が伴うので、アナログに戻した事例が多く存在している。本当の日本が見えてくるという点で危機感の高まりを感じている。
    次に驚いたことが分かった。日本国の政治家、財界、官僚は危機対策の最大課題がデジタル政府の活躍であることがわかっていないことも分かった。さらに驚いたことは、時代の変化とともに、官僚組織は世界的なIT開発の重要性を指摘してきたが、IT開発に基本的な重要事項を官が把握していない点に驚いた。しかしこの2つの緊急課題で私はやはり、タックス・イーターの問題を取り上げたい。そして次にデジタル庁の課題に取り組む必要があると理解した。
Z. タックス・イーターの問題とはどんな課題があるのかな?
芝: まず第1図を見てください。
第1図 【日本国の「じょう離」する税収と歳出】は1985年から2015年までの「一般会計税収」と「歳出総額」の図です。1990年は日本の製造業が世界一となった瞬間です。ここで少し戦後の日本がたどってきた道をおはなしすると、日本は素晴らしく幸運だったことがわかる。まず、第一次世界戦争終了後の敗戦国ドイツは莫大な賠償金を要請され、ドイツはその返済に日本の平成中期まで掛ったようです。それに対し、第2次大戦後の連合国側は賠償要求をしなかった。理由は第2次大戦の勃発は、ドイツが戦争によって、第1次大戦による賠償の削減を求めて起こされたものと判断され、連合側は賠償要求をしなかった。
  1. ①日本の幸運の第一は連合国側からの賠償要求がなかったことであった。②続いての幸運は1948年に勃発した北朝鮮による韓国侵入事件でしたが、1953年に休戦協定成立まで、新生日本国に後方支援(ロジスティックス)の仕事に関与させ、景気の長い仕事が得られた。日本国は1960年から1970まではベトナム戦争への後方支援活動を続けられるという幸運に恵まれた。このような仕事と新しい仕事の開発とうで、日本の国力は増加していった。
第1図 【日本国の「乖離」する税収と歳出】
I. 1985年から1990年までの日本は国債発行が10兆円と税収と歳出総額の差は一定していた。
日本は1990年製造業世界一となったが、人口減少のため、経済成長率が2%以下になったため、デフレ対策に切り替え、消費税増税として8%の消費税を国民に課した。ここで財務省の発想を捉えてみると、デフレで物価が下がるので、余裕の出た消費者に価格減少に伴う税の増収を図りたいという」趣旨だと言っている。財務省の見解は、物価下落で消費者は余裕が出るが、国の税収は減るので、消費者は余裕ぶんから消費税を支払ってもらわないと税収がへると言っている。しかし実はこれは嘘で、デフレで生産者は減収になり、国民はこの10年間給料が上がらないので、英国の報酬に対し、日本は80%減給となっていることに気が付いていない。さらに怖いことは日本人の報酬が安いと、外国にも行けなくなることだ。これが心配の第一位である。第二位の心配は2000年前後のゾンビ企業への支援である。グーグルで調べたところ、かなりの数のゾンビ企業が経営支援を受けている。特にオリンピックの建設にゼネコンが必要であり、1997年のバブル崩壊での経営危機が保護されている。これに対し韓国はIMF危機でゾンビ企業は消滅させ、IMF危機が韓国の経営の正常化を自立で解消した。この時期から日本企業と韓国企業の健全性に大きな差が出て、今やサムスンの株価はトヨタ自動車の2倍といわれている。日本にはまだまだゾンビ企業がはびこっていること、経団連の中でも新規企業プロジェクト19サムスンは日本はオリンピック実施等で国内に多くの施設構築をはかり、ゾンビ建設会社をすべて活かしてしまった。しかし21世紀で生き残る能力を持たない企業を活かした責任は国にある。しかし国は10年間報酬を上げなかった理由の中にゾンビ会社の救済がある。これはグーグルの調査によってどの企業かわかっている。覇気のない会社の倒産は国のため、優れた社員の就職探しの方が国にとって価値ある行為と思う。ところが日本の社員の報酬は上昇せず、その費用は大企業への減税として藻屑同様になった。心配の第3位は日本企業のイノベーションの縮小化である。その理由の第一はIT活用の低レベル化である。IT活用は米国で始まった。それはグローバリゼーション化のためのIT戦略である。それは1995年にインターネット網の全世界化対策であった。その産物として重要な要素がITであった。ITとは何かわからない人々が大勢いる。ITとは”Information Technology”である。多くの日本人は知らないけれど、リクルートの江副浩正会長は東大在学中に「経営者とは何か」よくわからなかったが「自分は経営がわかっていない」という観点でドラッカーの本から懸命に学び、リクルートは「ファクトとロジック」「財政諸表と経営戦略」経営の基本を学び続け、「情報が金になる」ということを最初に実践した人物で、アマゾン・ドット・コムのジェフ・ベゾス会長はリクルートの前進の会社で仕事をしていた。
江副氏はリクルートをとんとん拍子に大きくし、新株を上場し、その新株を政治家、有名人、権威者等に配って歩いた。それは彼の仕事を多くの知名人に使ってもらうための配布であったがその新株に人気が集まり素晴らしい高値となったため、検察側から汚職と看なされ、入獄者と看なされ、活躍の場を失ってしまった。【情報を金の宝庫見なした先見者】は失脚し、日本国も膨大な企業を失う羽目となった。日本国も大きな人物という資産を保護にしてしまった。

日本国官僚組織、経団連、学会の密着で、憲法が示す3権分立がうせたことで、すべての競争がグローバルレベルの戦いから、国内レベルの競争に代わり、内容的には社会主義的組織に似た国家に変わりつつあります。競争相手が国内で、第1級組織人グループ:官僚体制、経団連を頂点とするなれ合い企業群、東大卒を中心としたノーベル賞を取らない権威者集団)が第1級人間として位置付けられ、第2級組織人グループ:第2次戦争後新しい分野で成長した新進気鋭集団:世界を相手に戦う覚悟の集団(これからも応援したい若々しい集団)、第3級組織人:従来型中小企業改良型第国はというのはそれを修正する経営者がおらず、覇気のない企業が生きていける国が消費税増加分が勤労者へもどるはずであったものが、大企業への減税分としてすでに使われている。
日本は1997年に亡くなり、ゾンビ企業となっている。すなわち他国に対し、日本人は貧乏になったことを意味している。日本国のランクはもうすでに先進国より下だということである。更に酷いことを国民はしかし知られていない事実としてその分昇給が差し止められており、モノは下がったが、物価が安いと外国にもいけない。物価が安いと外国にもいけない。
I: しかし緊急事態は金のバラマキもあるので、デジタル政府を優先しながら、金をばらまく方向で苦境を抜ける方式を取っていただきたい。選挙がなければデジタル政府遂行が日本の将来を正しく発展させることができます。菅前総理はデジタル化の急速な活動に取り組んでいた。なぜ私がデジタル政府を急ぐかというと、バブルがはじけた2000年前後から期待していた課題だからです。そして誰が見てもデジタル政府を実践できるのは菅前総理であることも理解されていた。この緊急事態に対しては両立させる方法を実施すべきであった。なぜこのことを急ぐかというと、日本の産、学、官はいまだにITの内容がわかっていない。IT戦略は将来に向けた戦略だからです。
更に日本企業はアジア地区の国々との取引を忘れてしまいました。韓国はアジア地区の国々から大きな評価を受けており、それに対し、日本は日本国民の金だけで国家を支える方式をとっています。東大学端菅作り上げた日本国官僚の実力は日に日に落ちています。
日ロ戦争以降、日本の戦略は相手を倒すことだけに集中し、結末を見極める力がありません。私は常に欧米と日本人の発想に大きな欠陥があることに、大きな危惧を感じています。米国の海兵隊の訓練で一番大切な訓練は何かわかりますか。サバイバル訓練だそうです。
では日本陸軍の訓練は最後“は名誉の玉砕”です。太平洋戦争で米国の艦隊は当初ゼロ戦にてこずっていました。物量の豊かな米国は戦闘機の能力がなければゼロ戦1機に対し、4機が対応し、ゼロ戦が全滅する羽目になりました。ミッドウエイ海戦で日本の勇気ある特攻隊に恐れをなしていた米国空母の乗務員は最初恐れをなしていたが、最後には特攻隊の精神に敬意をもって自爆する飛行機を見て、誇りをもって基地まで戻ることを願ったそうです。「日本人はなぜ玉砕を褒めたたえるかというと、天皇陛下万歳が名誉だ」と国民を騙したにすぎません。日本人は自らの戦略のなさを恥じず、天皇陛下に責任をすり替えていたのです。
Z. 言われてみれば。
芝: “なぜデジタル政府は失敗し続けらのか”を検討してみよう“
第1図を見ると不思議な気がします。
I. 第1図 【日本国の「じょう離」する税収と歳出】は1985年から2015年までの「一般会計税収」と「歳出総額」の図である。
第1図 【日本国の「乖離」する税収と歳出】
I. 1985年から1990年までの日本は国債発行が10兆円と税収と歳出総額の差は一定していた。注1:会社とすると、折角育てた技術系エリート社員全員を解雇した。企業は出会った問題に対し、厳しく考え、対処することが、企業を強くする原則と考えて行動した李会長の手腕は抜群である。しかし、ここには私的企業であるから人情より物事の原則を重視できた。ここでは日本国のこれら問題に対する心構えを比較して見ることにした。

I. 私はここで1990年以降の日本の経営活動を誰がどの様に進めていったか検討してみた。
  1. ①敗戦国日本は第一次世界大戦後の敗戦ドイツが膨大な賠償金を請求され、その全額の返済に苦難な生活を強いられたが、2010年に完済した。
  2. ②米国は第1次世界大戦のドイツへの巨額の賠償金への恨みがあり、第二次世界大戦へ.できることを配慮した方策がとられ、敗戦国に恨みを残さない額で決定した。そのうえで農産物の等の支援があり、鬼畜米英が、仏米英にかわり、朝鮮戦争、続くベトナム戦争でのないであり、戦後の賠償のドイツの事例に比べ、日本は戦後の困難期の米国の支援を受けて餓死することもなく、細細とした企業活動をしていた時に、朝鮮戦争が勃発した。北朝鮮軍の攻撃が素早く、朝鮮半島の半ばまで占領たため、米国駐留軍は即座に韓国軍を支援し、半島の半ばまで跳ね返した。ここで米国は敵国であった日本を米軍の補給活動のため日本は工業国の力を発揮し、勤勉な日本人は米国の製品のモノマネから出発し、次第に成果をあげることに成功した。
  3. ③戦後の日本国は受け身の体制から出発した。その第一は日本の国土開発に米国大企業の進出をさけるため、日本独自の規格、標準化を推進した。そのため、敗戦国日本は国土開発で独占的に官が有利な体制が作られた。農業は全国に農業協同組合をつくり、農林省の傘下に収めた。金融関連は大蔵省の傘下に収め、国全体の予算管理を大蔵省に委ねた。日本国は明治時代から天皇制国家であり、それを基盤とした官僚政治の国家であった。基本的には資本主義ではなく公僕官僚社会主義国家であった。日本の成長は朝鮮戦争、その後のベトナム戦争から収益を上げられた資本主義で、この資本主義は農家の長男が農業を企業として取り組み、次男坊以下は、資本主義の戦士として日本国に貢献した。
    同時に日本国はイノベーションで世界一を目指した起業家が成果をあげてくれた。最初はソニーの小型電気製品の開発、松下幸之助の電化製品の水道戦略、ホンダ製作所の小型バイクという新製品開発のカリスマ経営者の出現であった。トヨタの量産化をベースとした品質管理、コスト管理、燃費節減管理が他国を上回り、燃料節減時代に直面し、世界一の量産企業として名を成した。
  4. ④1990年日本国の製造業世界一に達し、生活が豊かになり、国民が中流国から中流の上にレベルが上がったと認識した。そして日本人は更に収入を増やすため、【財テク】という言葉がはやり言葉となり、大企業から中流サラリーマンまでが、金儲けにのめりこんだ。
  5. ⑤1997年に山一証券の自己破産宣言で、悪魔の到来に慌てふためいたが、倒産企業、縮小併合企業、救済企業に分類明確化する。次にゾンビ企業を拾い出し正常企業への復帰期日を指定する。
  6. ⑥現実に実施した内容を厳しくマップ化する。アベノミクス以前2010年とする。
  7. ⑦どうような作業を現在行うか検討する。

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