関西例会部会
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関西例会レポート

PMAJ関西 KP 喜野 聖 : 1月号


秋の特別セミナー 講演 1
「おんな経営記」  
  真田 千奈美様
真田 千奈美様

1.はじめに
 山城屋は嫁に来た女性経営者が才覚を発揮し引き継がれた歴史がある。その歴史を引継ぎかつ1000年企業にしようと取り組んでおられる経営者としての考え方と実践事例をご講演いただいた。
(ご講演内容をグラフィックレコーディングでも記録してみました。記事と併せてご覧ください。)

2.概要
2-1.山城屋の歴史

 江戸時代米問屋だった真田は1904年に東本願寺より「山城屋」という屋号を賜り、香川県で煮干問屋を開業した。高松では瀬戸内海の魚がとれるため、真田サダは貧しい漁師に煮干しを持って来たらごちそうを与え、煮干しを大量に集めた。真田サダは「商いの元は生産者に有り」のビジネスモデルを生み出し、山城屋に大きな財をもたらした。
 1945年戦争で全てを失った。空襲によって全戸焼失、跡継ぎも病死、真田サダに残されたのは孫のみであった。しかし、孫は商売人には不向きであり真田サダは「しっかり者の嫁」を見つけるしか無いと考え、30名もの娘たちと面接し嫁を選んだ。真田サダは孫の結婚式の1ケ月前に脳梗塞でこの世を去った。
 1953年真田サダに見初められた、嫁真田悦子は頼りのサダが結婚前に死亡したため商売を教えてくれる人もおらず、病弱な夫の代わりに19歳で商売を引き継いだ。このころ山城屋は乾物問屋真田商店として商売をしていた。
 1958年四国で初のスーパーマーケット「主婦の店」を見学した真田悦子は購入者が自分で商品を手に取ることが出来る事に衝撃を受けた。これからの時代はスーパーマーケットを相手に商売をするべきと周りの反対を押し切り決意した。9月にスーパーマーケットの見学に行き、10月に子供を出産、12月には大阪に出てスーパーマーケット専用問屋になるスピード判断だった。この方向転換は成功をおさめ、乾物を中心に商売を行い20年後には30億円の売り上げ実績を達成した。
 1982年専用問屋では大手問屋しか生きていけない時代になってきた。今までの乾物のノウハウ、消費者の気持ちがわかる商品が出来ると考え、乾物メーカ「山城屋」に転身した。300種類の商品を開発し、売上を6億円から2005年には36億円とし真田悦子は退職した。
 真田悦子は大ヒット商品「京いりごま」「京きな粉」を開発した。今まで誰も商品化しなかった難しい素材にチャレンジし、大ヒットさせた。商品開発は家族4人で必要な容量を入れる、料理方法を印刷するなど、7つのコンセプト「原料、デザイン、包装資材、商品裏の説明、容量、プライス、コンプライアンスの順守」を作り行った。
 1982年に真田悦子の長男と結婚した講演者は山城屋に入社し、商売を覚えていった。2005年に真田悦子が退職した翌年・翌々年に年5%毎の売上減となり、講演者は何か手を打つ必要があると考えた。売上減の分析を実施したところ、山城屋の商品は乾物レベルの中高級志向を目指していたが、商品開発の中で中級レベルの商品を出していたことに気が付いた。中級レベルの商品は競合も多く最終的には価格競争に巻き込まれるため、このままでは売上減が続くと気付いた。打破するためには山城屋にブランドが必要であると考えた。①東山に店舗があった、②東本願寺から屋号をいただいた、③主力商品の商品名に「京」がついているという①~③の理由で「京都」をブランドにしようと考えた。2009年すぐに実行し本社移転も行った。本社が移転しただけでどうなるという反対は多かったが、講演者は自ら勉強する必要があると思い、2010年立命館大学経営大学院に通いMBAを取得し、50歳になって初めて経営の理屈が理解し経営者になれたと思った。大学院でドラッガーの教えに出会い、「山城屋を永続1000年企業に育てる。革新と共に身の丈の幸福感を追い続け、その礎を創った者として憶えられたい」と目標を決めた。講演者が考える身の丈の幸福感は1人の経営者が対応できる30億円の売上を継続することである。

2-2.山城屋のイノベーション
 山城屋の強み・弱みについてSWOT分析を行い、新たな取り組みを行っている。
<新たな取り組み>
・京都への統合
・物流部門の外部委託
・商品数削減とリニューアル化(300種類→200種類)
・ISO9001取得
・商品製造の内製化と合理化
・インターネット通販の再構築
・ホームページリニューアル(乾物大好きブログ)、FaceBook/クックパッド開設
・社内IT化(Gmail、SaleForce導入)
・社内教育と人事
・社内プロジェクトによる商品開発
・料理教室の開催
・農商工連携できなこ家というきなこ専門のスイーツ店開始(補助金事業)
・六次産業化で京都与謝野町に乾燥野菜工場作成(補助金事業)
・観光ビジネスとして京都七味作り体験を実施(補助金事業)

2-3.乾物での取り組み
 乾物は健康食品であり乾すことにより栄養価やうまみ成分が増し、保存可能で持ち運びが出来る商品である。年間を通じて価格の変動が少ない。その特徴を生かし、「京のおばんざい」「ごま和えの素」といった商品を作り出していった。乾物と何かを組み合わせ、初心者でもおいしい料理が出来るように考えた商品である。
 また、差別化が出来る京都産に拘った乾燥野菜を生産者と協同で商品化した。日本各地でも同様に、明石海峡産のわかめ・熊本産のきくらげなど商品化を進め、差別化を進めている。
 経営層としては通常のスーパーマーケットでの販売だけでなく、チャネルを変えて売上アップを目指したい。こだわり野菜を扱う定期宅配サービスへアプローチを開始した。しかし最初はなかなか受け入れられなかった。定期宅配サービスの場合、生鮮食品販売で送料無料等の特典をうけるため3000円分購入する必要がある場合、少しの差額を埋める商品として乾物は保存がきくので購入が見込める適切商品であるとアプローチを行い、Oisixを皮切りに取扱店増を実現した。実際に料理及び乾物初心者向けに「煮物が好きになりました」の商品がヒットした。
 産地詐称事件が発生した時に「国産はるさめ」を全面にアピールし販売を進めた。時代の商機を掴みチャンスを生かした。チャンスを生かすためには素早い対応が必要であり、生産者が生産量を増加させるため設備投資をするのではなく、フル稼働(24時間生産)など取り組みやすい方法で自社だけでなく周りと一緒になり対応している。

2-4.広告効果の付加価値を生んでいる取り組み
 中小企業としてメディアを有効に活用し広告効果も得られる取り組みをしている。アンテナショップの「きなこ家」をメイン通りから1筋脇に開店することで目立つ効果を活用しテレビ番組への露出など無料コマーシャル効果による販路拡大に役立てている。規格外の唐辛子を使った国産一味・ごま・山椒を商品化し、七味作り体験を提供することで、修学旅行生など旅行者のファン獲得も行っている。
 若い年齢層に乾物を美味しく食べてもらうためには、クックパッドやじゃらんとの連携、また料理教室や食育活動も推進している。
 社員の改善活動もプロジェクトとしてとらえ、年1回の発表会を開催しアイデア採用で褒章金が出る活動も実施しており、新聞メディアに取り上げられ企業イメージアップも促進している。
 生産者と一緒になって協業していくということで、京丹後市との協業だけでなく、JA長崎せいひ(長崎西彼農業協同組合)と連携した活動を実施している。これにより”ゆでぼし大根”が認知され「ゆがき大根」として商品化後大手スーパーマーケットで販売されメジャー化した。生産者と消費者を結びつけることも山城屋の役目と考えている。

3.まとめ
 乾物という斜陽産業にとって未来をこじ開けるためには、社員と経営者が一緒になってやっていかないといけないと思っている。ドラッガーの教えである「未来を予測する最良の方法は自ら未来を切り開くことである」を実践していく。

4.感想
 山城屋は女性経営者がその時代のニーズを的確に判断し舵取りをしてきた企業である。その歴史を知れば知るほど驚くばかりである。今回の講演では自らの環境で何をすればよいか考えてきた経営者の対応を学ぶことが出来、勇気と感動を得られた。経営者として自ら動く役割があると明確にされており、自ら切り開くべき道(分野)を明確にして実行されていると感じた。マネジメントの重み付けをする効果をどう判断していくかなど、多くの場面で応用できると思った。

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