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「エンタテイメント論」(46)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :1月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

2 左脳的認識と右脳的認識
●男脳と女脳の存在
 筆者は、前号で「民間TV放送局」がプロ・ゴルフ競技の中継に於いて、視聴者を喜ばせ(感性的充足)、視聴者を満足させ(理性的充足)、視聴者と共に(双方向のコミュニケーション)新しい、優れた放送コンテンツを生み出すという「真のエンタテイメント」を全く理解していないことを指摘した。

 この放送局の関係者も、視聴者も、エンタテイメントの主体者である。しかしお互いは対立関係にはない。しかも彼らは当然のことながら、男性と女性で構成されている。ここには対立ではないが、2つの異なる見方が存在する。このコトを脳生理学的、脳科学的に言い換えれば「男脳」と「女脳」による異なる見方が存在するということである。これはエンタテイメントの本質に深く関わる。
出典:Male Brain & Female Brain Yahoo USA
出典:Male Brain & Female Brain
Yahoo USA

 男脳と女脳の議論は、度々「男女不平等論」を引き起こしかねず、特別の配慮が求められる。しかし筆者は、これに関しては、あくまでエンタテイメント論として議論するつもりである。また男脳と女脳に関して数多くの議論があるが、あまり信用できない俗説も極めて多い。特に男脳は女脳に比べてSEXに反応領域が極めて大きいなどというのがある。これは俗説であろうか。よく分からない。

 さて自閉症の研究で有名な発達心理学者で、ケンブリッジ大学・発達精神病理学科教授であるバロン・コーエン・サイモン博士(BaRon-Cohen Simon 1959年~ )は、「男脳」と「女脳」に関して長年の研究を行っている。その研究は世界で最も高く評価され、信頼性があると思う。

●男脳と女脳の違い
 サイモン博士は、男女の脳の違いを以下の様に主張している。

 「男脳」は、ある「モノ」やある「コトガラ」を実行すれば、別の「モノ」や「コトガラ」が生まれるという「因果関係」を捉える所謂「時間的認識」に優れている。このコトは、前号で説明した通り、理性的、理論的、R機能的な認識、1+1=2の世界に存在する理論的制御、そして言語、数字、数式などを駆使して定義するという所謂「左脳的思考」を得意とすることを意味する。

 男性は、女性に比べて政治力、競争力、戦闘力、闘争力、因果追跡力、システム思考力などに優れている。言い換えれば、男性は、政治、経済、産業などの活動の「場」、時には民族間闘争、戦争などの「場」で、多くの意見や見方の異なる人間同士を理解させ、協調させ、協力させるという「理性的コミュニケーション」を駆使するパワーに優れていることを意味する。古今東西の人類の歴史の中で「男性優位」の時代が極めて長く続いたが、その根源理由はここにある。

 女脳は、「モノ」や「コトガラ」が存在する「空間(場面)」の意味を捉えること、言い換えれば、人の表情、行動などを見て、その人物の「真意」、「感情」などを全体的、包括的、感覚的に一瞬且つ一挙に捉えるという「空間的認識」に優れている。それは、前号で説明した通り、感性的、共感的、F機能的 (40号参照) な認識、1+1=∞の世界に存在する理論的制御が不可能な認識、そして絵、写真、動画、音、匂い、振動、食べ物などを使って定義する「右脳的思考」が得意であることを意味する。

 女性は,男性に比べて感情認識力、感覚的観察力、感覚表現力、感受力、共感力などに極めて優れている。相手の現在の気持ちやその後の微妙な変化までかなりの精度で認識できる。おまけにそのことを極めて鮮明に記憶することができる。その気になれば、過去に経験した楽しかった感覚、不愉快な感覚などは幾らでも正確に思い出すことができる。

 女性は、相手の感情の機微を正確に認識できるため、相手への配慮、気遣い、慰めなどを自然に、本能的に生み出すことができる。その結果、相手との「共感」を得意とする。そのため相手と自然な「感性面のコミュニケーション」を駆使して問題を解決するパワーに優れている。

●真のエンタテイメント
 サイモン博士の男女の脳機能の違いと得意・不得意の研究結果は、我々の日常的理解や感覚からも納得がいく。我々の人間社会は、「男」と「女」によって構成され、支え合っている。言い換えれば、男脳と女脳が人間社会形成の根源になっていると言えよう。

 しかしそれぞれの脳に得意、不得意があっても、人間は、既述の通り、両能の総合的機能の発揮によって初めて適時、適切な思考と行動を行うことができる事実には変わりがない。筆者の「夢工学」が説くF機能とR機能の同時・同質の発揮を求める根拠は、この両能の総合的機能発揮に在る。

 人間社会が男と女で支えられていることは、エンタテイメントの「場」を支えるのも男と女である。言い換えれば「男脳」と「女脳」が支えている。筆者が説く「エンタテイメント論」は、勿論、男脳と女脳の支えがなければ成り立たない。しかし「男脳」や「女脳」だけでなく、「両脳」の総合的機能の発揮が行われて初めてエンタテイメントの真価が発揮されると説く。

 にも拘わらず、日本のエンタテイメント・ビジネスの現場では、やたらに男脳的な考え方(左脳的思考)に偏在したり、逆にやたらに女脳的考え方(右脳的思考)に偏在している。両者が同時・同質に発揮される総合的思考(Integrated Thinking)が強く求められる。言い換えれば、冒頭のゴルフ競技のTV中継で指摘した、視聴者を喜ばせ(感性的充足=女脳的充足)、同時に視聴者を満足させる(理性的充足=男脳的充足)というエンタテイメントを実践することである。

●男とは? 女とは?
 男脳と女脳の違いを明らかにしたが、そもそも「男」とは何か? 「女」とは何か?を明らかにする必要がある。これは、男と女を「定義」するということである。
出典:MAN & WOMAN Yahoo USA
出典 MAN & WOMAN Yahoo USA

 男とは、(女に比べて)顔が厳つく、髪が短く、背も高く、体が頑丈。(男性的な)逞しい精神を持ち、男性脳的で、男性性器を持ち、子供を産めないなどと一般的に定義される。また女とは、(男に比べて)顔が優しく、髪が長く、背も低く、体が華奢で、(女性的な)優しい精神を持ち、女性脳的で、女性性器を持ち、子供を産めるなどと定義される。しかしこの様な「定義」は正しいであろうか。何故なら以下の事実の存在によって男女の定義が崩れるとか、男女の区分できなくなるからである。

 男でも顔が優しく、髪が長く、背が低く、体が華奢、(女性的な)優しい精神の人はいくらでもいる。女でも顔が厳つく、髪が短く、背が高く、体が頑丈、(男性的な)逞しい精神の人はいくらでもいる。更に男性性器と女性性器の両方持っている人は男なのか? 女なのか? 「性同一障害」の人は男なのか? 女なのか? そして出産できる男性はいないが、出産できない女性はすべて男か? 次々と疑問が湧いてくる。

 読者の中には、女性性器の保有者は女性と信じて疑わない人や両性器を保有する人は存在しないと信じている人が沢山いるだろう。しかし実際には女性性器の保有者でありながら男性性器も保有する人は現実に存在する。

 いつの「冬季オリンピック」か覚えていないが、女子スキー競技で「某女性スキーヤー(スイス人)」が優勝した。彼女は競技終了後の検査で「男」であることが判明し、「金メダル」がはく奪された。彼女は男と偽って出場した訳ではない。彼女自身も、周囲の誰もが女と信じていた。オリンピックのセックス・チェックと医療精密検査によって、女性性器の裏側に男性性器が埋まっていたことが判明したのである。彼女は男になる性転換手術をして、スイスで宿泊ロッジを経営しているとニュースが報じていた。

●定義とは何か
 さて「定義する」とは、そもそもどう云うことか? 上記の様に「現象」を説明して十分ではない。また「本質」を説明しただけでは十分ではない。筆者が以下に書いた「答え」を読む前に、少しの間、考えてみて欲しい。これに正確に答えられる人は意外に少ないのではないか。
 
 その答えは、「YESか、NOで答えられる問いを明らかにすること」である。例えば、男性性器を持っていますか? 子供を産めるか?などの「問い」を明らかにすることである。しかしその様な「問い」では、男と女を定義できなかったことは上記の通りである。

 人類は、昔から「小さいモノ」を大きく見える仕組みを考えて努力してきた。そして研究に研究を重ねて「顕微鏡」を発明し、更なる研究によって「電子顕微鏡」を開発し、実用化した。その結果、近年になって初めて「染色体」を観察することが可能になり、遂に染色体の種類と数を「問い」とすることによって男と女を定義することできる様になった。

 「定義する」とは英語で「Define」という。この語源に「切る」、「区分する」という意味がある。「定義」するとは、上記の通り、男と女を区分する「問い」を明らかにすることと言える。そして人類は、男と女を定義するために数百万年を要したのである。「定義する」ことは、まさに「科学する」ことと言える。

●コンピューターとベン図
 「定義する」意味をいまいち理解できない読者には論理学、特に「ベン図」を参照することを奨める。

ベン図

 コンピューターの発明と発展の「歴史」に於いて「図書分類学」や「論理学(ベン図)」が大きい役割を果たした。またその後のコンピューター・システムの「開発の歴史」に於いても、モノやコトガラを如何に「定義」するかの「歴史」であった。
出典:コンピュータの誕生 カリフォルニア・マウンテン・ビュー「コンピューター歴史博物館」
出典:コンピュータの誕生
カリフォルニア・マウンテン・ビュー「コンピューター歴史博物館」

 以上の歴史とは、デジタルな答えである「YES」と「NO」で答えられる「問い」を明らかにしてコンピューター・プログラムやコンピューター・ソフト・システムを作り、コンピューター・ハードを動かした歴史と言い換えられる。

 なおコンピューターのハード・ウエア―とソフト・ウエア―は、「左脳的思考」だけで発明されてはいない。「右脳的思考」の助けを借りて、両脳の同時・同質の思考によって発明され、開発され、実用化され、現在も日々、進化していることを忘れてはならない。
つづく
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