今月のひとこと
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 サッカー人気 

オンライン編集長 深谷 靖純 [プロフィール] :7月号

 かつて通勤途上では新聞を読んでいる人が多かったのですが、今は殆どの人がスマホを見ており、駅の売店で新聞を探すのも大変になっています。編集子もスマホを使いますが新聞の電子版を見る程度で、後は気楽に読める時代小説を文庫で読んでいます。贔屓の作家が引退していくため、書店の新刊コーナーでは読む本が見つからず、最近は古書店の利用が増えています。以前は、古本の値札をはがすのが一苦労でしたが、最近ははがしやすくなっており、レジの店員さんも「読んだらお売りください。」と声がけしています。世の中、進んでいますね。

 それにしてもサッカー人気はすさまじいですね。日本チームの試合がある日は会社を休んで観戦、あるいは会社ぐるみで観戦といったことが当たり前のように行われています。不人気だった時代もあったように思うので、ちょっと調べてみました。
 最初のブームは、1964年の東京オリンピックということになります。それまでは、蹴球(しゅうきゅう)という言い方の方が似合う地味な印象のスポーツでした。東京オリンピックの前までは、サッカーよりも歴史の浅いラグビーの方が人気は上だったかもしれません。スクラムやタックルなど過激な面がある一方で、試合が終われば「ノーサイド」だという紳士のスポーツだというところが日本に合っていると言われていました。ところが、ラグビーはオリンピック競技ではありません*。日本での初めてのオリンピック開催ということで、サッカーなどの参加競技毎に強化策が実施されました。金メダルの女子バレーが脚光を浴びましたが、サッカーもベスト8ということで、一躍注目されました。さらにメキシコオリンピック(1968年)では銅メダルを獲得しました。全国の中学、高校ではにわかサッカー少年が急増し、ルールも覚えずにボールを蹴っていました。スクラムやタックルのような危険なことをせず、蹴るだけなので安全だと思ったのかどうかは定かではありませんが、バンカラなラグビーよりもスマートなサッカーへという風潮でした。
  1. * 1964年東京オリンピックでのボール競技は、サッカー、バレー、バスケット、水球の4種目
 その後、長い冬の時代となり、日本代表チームの活躍は影を潜めました。企業のクラブチーム主体の実業団リーグで試合が行われていましたが、観客も僅かで盛り上がりませんでした。三浦知良氏などは、そんな日本サッカーに見切りをつけて、単独で海外留学の道を選んでいます。サッカーに本格的に取組もうとする者を受け入れる体制が整っていなかったということかと思います。
 それでも、サッカーが好きだという熱狂的なファンが存在していました。東京メキシコオリンピック少年が中年になった頃でしょうか。1980年代半ば、「ワイルド7」という漫画の作者である望月三起也氏、明石家さんま氏、ビートたけし氏といったサッカー好きの有名人が、芸能人サッカーチーム「THE ミイラ」を結成して試合を行い、新たなサッカーファンの開拓に努めました。「ミイラ取りがミイラ」だからファンが増えるというシャレでつけたチーム名だそうです。
 世界のスポーツ界の趨勢は、アマチュアからプロへの移行ということで、1993年に主に実業団リーグのチームを母体とした10のプロチームによるJリーグが発足しました。発足当初から地域代表制(ホームタウン制)を徹底していますが、現在では地域振興策としてJリーグ誘致を図る自治体も出てきました。派手で騒々しいファン活動が目立ちますが、そういった地道な活動が、ワールドカップでの活躍とともにサッカー人気を支えているような気もします。
 この記事が掲載される7月1日、ワールドカップ決勝トーナメントに日本チームが残っていることを祈ります。
以上

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