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「国際宇宙ステーション(ISS)」の法的位置づけ(その6)
~NASAの極秘“先端有人宇宙情報”の入手~

長谷川 義幸 [プロフィール] :6月号

〇データ・物品の交換(IGA第19条) (*1)
・ IGA発効前の状況
 「きぼう」船内実験室の壁に装着するヒーターの設計や「きぼう」の基本設計が1990年からスタートし、MHI(三菱重工)の名古屋航空機製作所で、船内実験室のサブシステムを担当する会社も加わり設計作業が始まりました。参加各社は月曜日に来て、金曜日に帰るというハードな勤務状態でした。どの会社も、有人宇宙船の軌道上組立や実験室の起動について全くの未知の分野であり、情報やノウハウが少ない中、試行錯誤での設計作業でした。

「きぼう」船内実験室はシャトル荷物室に搭載されて打ち上げ  「きぼう」船内実験室はシャトル荷物室に搭載されて打ち上げ、図のように宇宙空間にでるとシャトルの熱制御の都合で、荷物室の大型ドアを開きISSに接近する前まで開き続けます。
 このドアを開くと、宇宙空間の冷気により急速に温度が低下します。実験室には、「きぼう」制御システムと実験装置が複数搭載されているので、内部機器が冷気で損傷しないようにヒーターを入れ、保温する必要があります。

 IGAの締結前には、設計者が知りたかったシャトル飛行姿勢情報を含め、NASAに要請しても米国の有人宇宙船に関わるデータは、輸出許可が下りませんでした。
 リスクを最小にする対応を求められても、有人宇宙船の故障許容設計については日本には経験も前例もなく、十分な有人宇宙船の安全解析ができる状態になかったのです。
 当時は、まだ東西冷戦真っただ中で、スペースシャトルの技術データは高度な機密事項であり、シャトル荷物室の開閉時期、飛行姿勢などはまったく公開されていませんでした。

ISSの軌道上組立のシーケンス会議  ISSの作業は、国内の設計作業と並行して、NASAのジョンソン宇宙センターで、ISSの軌道上組立のシーケンス会議が行われていました。「きぼう」開発各社は、参加各国の代表とNASAのベテラン技術者たちの議論に加わり作業を進めていく中で“シャトル飛行の情報がどうなっているのか”“まったくわからなかった未知の飛行シーケンスや安全対策”が、ベールが少しずつ、竹の皮を剥ぐように、みえるように/理解できるように、なってきたのですが、情報は断片的で、全体像が分かりません“群盲象を撫でる”状態でした。

 しかし、シャトルの飛行パターン関連情報を手に入れるまでに、さらに数年を要します。それは、ロシアが参加することになり、新IGA締結が済み、「きぼう」の詳細設計がすこし進んだころでした。新IGAはこんなところで役立ちました。

・ IGA発効後の状況
 米国では1980年代前半まで、“国際宇宙ステーション計画のための国際協力に伴う技術移転、技術輸出について”と“宇宙ステーション計画への同盟国の参加”をめぐる議論は、米国政府部局内での最大の議案事項でした。この懸案を解決するための新IGA条項が、以下の「データ・物品の交換(IGA第19条)」になりました。

IGA第19条: 「本協定のために必要な技術データおよび物品の移転に当たっては、提供側の実施機関(日本の場合は文部科学省)が、それらのデータなどを輸出管理における所有権管理および国家機密法上の保護をするため、特別な指定や表示を行う。また、自国が受領する技術データおよび物品が、指定された条件に従って取り扱われることを確保するため、規定を作成すること。」

 参加国は、自国が受領する技術データや物品が、受領の国協力機関、二次的な移転を受ける契約者などにより、指定された条件に従って取り扱われることを確保することになっています。
 JAXAでは自国担当のISS開発を円滑に進めるために設けられた「責任に関する相互放棄」とともに標準契約書で担保しています。

 この条項のおかげで、冷戦下で米ロが威信をかけてソユーズ、ジェミニ、アポロ計画などで積み上げられてきた技術データや物品の中から、“米国の有人宇宙活動のミッション保証”“安全確保に関する安全性”“信頼性管理などの膨大なデータ”“宇宙活動技術”“有人宇宙運用技術”および“搭乗員の長期滞在関連技術”などのデータを入手できるようになりました。
 それに加えて、NASAの技術開発過程における試行錯誤や失敗の背景、安全確保の工夫を詳細に知ることができるようになりました。
 それらを日本流に咀嚼し、開発や運用に取り入れ、ISS無人貨物船HTV「こうのとり」やアルテミス計画に生かすことができるようになってきました。そうやって、米国という巨人の肩の上に立つことができました。

 毛利宇宙飛行士が最初に搭乗したスペースシャトル宇宙実験ミッションではNASAの気位の高さもあり、安全審査も“安全解析に基づき論理的に根拠を明確にした安全審査用ハザードレポートができていない”と突っ込まれて、やり直しの連続でした。
 この経験を生かして、「きぼう」開発の安全審査は、NASAの厳しい指摘は毎回沢山だされ、その取り扱いに困ることも多々ありましたが、指摘された課題をNASA担当者と何回も調整するうちにNASAの経験による課題の処理方法が具体的に分かってきて日本のレベルがあがっていきました。

 現在では、国際宇宙ステーションの安全審査のフランチャイズ化で、審査の一部は、JAXAの審査が通過すればNASAへは通知で済むようになりました。
 そして今は、有人安全技術の定期会合を設けるレベルに達したことから、米国の提案により、米国、欧州、日本の3宇宙機関の有人安全技術の定期会合を設けることになり、最先端の解析方法や考え方、お互いのミッションに関する技術交換が行われています。
 いろいろな経緯を経て、やっと、米国と肩を並べて、開発。運用ができるようになりました。
先人達の汗と努力に感謝ですね!!

参考文献
(*1) 姫野裕信、「安全を挟んだ攻防―有人宇宙開発黎明期の記憶―」、「きぼう」日本実験棟組立完了記念文集、JAXA社内資料、2010年

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