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「国際宇宙ステーション(ISS)」の法的位置づけ(その5)
~ISS運営の意思決定はどうやる?~

長谷川 義幸 [プロフィール] :5月号

〇国際宇宙ステーション運営 (*1) (*2)
 国際宇宙ステーション計画は、レーガン大統領の2期目の目玉政策として反ソ連、反共産主義として東西冷戦構造が続く国際社会の中で、西側の結束を世界に示そうとしたものでした。
 しかし、この計画をロンドンサミットで提案、日欧加が参加を表明した後の1986年1月に、スペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故が起きました。国際宇宙ステーションの建設には、スペースシャトルは不可欠でしたので、本当に技術的に建設できるのか?という疑念が関係者の間で一層募っていました。レーガン大統領は、“国際宇宙ステーションは予定通り構築する。”との強い意志表明を行いました。これにより関係者に安堵が広がり計画が予定通りすすむことになりました。
 通常、国際ステーションの交渉はNASAが主体で国務省はあまり前面にでてこないのですが、この時は参加国の不安を払拭するため国務省は積極的に動きました。
 日本のIGA交渉団の一人は、“この計画は、技術的な要素以上に政治的な意味合いの強い壮大な国際協力プロジェクトだなと感じた”と当時を振り返って語っていました。
 当時は、米国はアポロ成功の熱気がまだまだ残っているなか、スペースシャトルの開発がほぼ一段落したころで、米国の有人宇宙技術は他国を圧倒していました。
 当時、ISSの運営は多国者間で行うことを基本とし、交渉においては、上から“枠組み・政策レベルの国際宇宙ステーション協定(IGA)”“同覚書(MOU)”“事業プログラムの設計・開発段階における計画調整委員会(PCC)”“山積する技術懸案を裁く技術調整会議(SSCB)”“事業運営調整として(SOP/UOP)”などのコンセンサス形成を目標として交渉が行われていました。(IGA第7条1項)

 米国も欧州も大交渉団を編成、その編成を調整し、レベルに応じて責任者が変わっていました。日本は団長1人で全てに対応しましたので、判断は最小の時間で済んだのですが、欧州は参加国での利害が異なるため、どんな課題でも答えがかえってくるのに時間がかかりました。
 小さいことも、その会合では決められず、「持ち帰って検討」になっていました。
 利害が対立する参加各国は、ワシントンDCで会合した後、ロシアへ、その次の会合はパリでという風に、交渉団メンバーが移動して顔を突き合わせるので、次第に気心が知れ、夕食会も増え、家族構成も次第に分かって仲間になってきたようでした。
 新しく入ってきたロシアに対しては、米欧日加という西側メンバーが団結し、交渉にあたり、米国に対しては、欧日加が団結し、米国の暴走を抑えるという構造でした。
 ロシア参加前のIGAでは、国際宇宙ステーションは、米国の中核的な宇宙ステーションを日本、欧州、カナダが協力して実現するという前提にたっていて、米国はISSに関わる調整や指示(direction)を行うという、欧日加の参加国に対して、優先した権限を担保していました。
 軌道上で組み立てられた後の運用については、ロシアの参加前までは、全体の運用を参加機関の参加による多国間の運用管理の下で実施することとしていました。これは、宇宙ステーションの各要素の開発はそれぞれの参加機関の責任で開発を行うものの、運用は宇宙飛行士の安全に関ることから、集中的運用管理が必要であり、NASAを中心に運用を行うことで調整がされていました。そのため、参加機関は自国において技術支援体制は持つものの、運用の実行レベルでは参加機関の技術者をNASAに派遣することになっていました。
 しかし、ロシアが参加することにより、この運営方式が大幅に変わりました。
 ロシアはこれまで、宇宙ステーション「ミール」の運用実績をもとに、ロシア部分の運用はモスクワを中心として行うことを主張したため、米国は譲歩せざるを得なくなり全体の統合管理権は米国ヒューストンのジョンソン宇宙センターが持つものの、モスクワとヒューストンで分担して宇宙ステーションの運用を行う分散運用となりました。
ISSの通信・運用管制システム  この結果、日本も欧州も安全に関る部分の運用は米国を経由して行うものの、通常の運用は、筑波宇宙センターと欧州の宇宙センターを中心に行う分散運用ができることになりました。
 この分散運用は、日本にとってはNASAにおける通常運用時における必要経費が減るというコストメリットがでることになりました。 (*3) (右図参照)

 1995年、ロシア参加による実質の開発作業が始まったときに、筆者はSSCB(実施機関トップの意思決定会議)に参加しました。そのとき感じたのがトップレベルでの意思決定の公平さでした。
 日本も他の参加機関と同等の立場になっており、国際社会の中で重要な地位が確保されているのをしみじみ感じました。その経験を少しお話します。

 NASAはゲスティンマイヤー氏がISSプログラムマネジャーでした。議長である彼は、山積した懸案事項を一つ一つ、日欧ロ加の参加4機関代表に順番に振って意見を言わせ、その意見に対して全員で議論します。彼は論理的な議論に徹し、決して急ぐことはせず、相手のいうことを丁寧に聞き、時に反論をし、NASAの状況を述べながら内容を煮詰めていきます。
 問題の処置について、論理的に納得できるまで、議決はとりませんでした。ロシアを含めた参加機関代表がNASAにリードされることに対して納得するやり方で進めます。議決は各国参加機関代表に順番に振り、賛否と補足意見を発言させる方式をとります。
 全員一致の判断ができない時には、残った課題として関係機関の間で議論を煮詰めるアクションとし、期限を決めて議事録に残します。決して、ロシア参加前のように米国の都合のいいような方向に無理やり進めることはしませんでした。
 ロシアの参加により、国際宇宙ステーションの開発・運営に対する意思決定が、公平感のあるコンセンサスベースに変わっていることを強く感じ、多国間協議における、議事の運用はこうあるべきと思いました。 (*4)

 筆者がつきあったNASAのISSプログラムマネジャーは、ゲスティンマイヤー氏と後任のサファディーニ氏でした。お二人とも、筆者を含めISS参加国代表と公平に付き合っていました。ゲスティンマイヤー氏は局長を務めたあと退職し、スペースX に転職され活躍されています。
  サファディーニ氏は退職後、宇宙ベンチャーのアクシオムスペース社の社長になられました。
 最近話題のISS後継機となる民間商業ステーション構築の仕掛け人としてマスコミによく登場されています。若田飛行士も、JAXA退職後、この会社で活動されています。
 公平さを維持していくには、リーダーのマネジメント力が必要です。お二人は、議事の進め方が巧みで、技術も人間の付き合い方も優れていました。おかげで、ISSの開発が完了し、運用が軌道に乗りました。大きなプロジェクトが成功をするか否かは、優れたリーダーの存在が必須だと感じました。

参考文献
(*1) 「国際宇宙ステーション計画参加活動史」の第3章、JAXA特別資料、JAXA-SP-10-007、2011年2月
(*2) 間宮、白川、濱田、「国際宇宙基地協力協定交渉から」「きぼう」日本実験棟組立完了記念文集、JAXA社内資料、2010年
(*3) 堀川康、「宇宙ステーション開発における情報管理」、RISTニュース、No.23,1997年
(*4) 長谷川、「記憶に残るPM人材像」、PMAJジャーナル、第44号、2012年

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