図書紹介
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藍を継ぐ海
(伊与原 新著、(株)新潮社、2025年1月25日発行、第3刷、268ページ、1,600円+税)

デニマルさん : 4月号

今回紹介の本は、第172回(2024年下期)の直木三十五賞を受賞している。2025年1月15日の新聞報道によると芥川賞は、安堂ホセさんの『DTOPIA』(河出書房新社)と鈴木結生さんの『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)で、直木賞は伊与原新さんの『藍を継ぐ海』(新潮社)に決定と発表された。この話題の本では、過去に何回も芥川・直木賞の受賞作品を紹介している。その記録を見ると何故か直木賞の作品の方が多い。理由は、筆者の個人的な好みであるとも書いた記憶がある。さて今回は、ご参考までに芥川賞と直木賞の違いについてチョット紹介させて頂きたい。数ある文学賞の中でも特に有名なのが、芥川賞と直木賞です。この賞の第1回目が1935年(昭和10年)で90年の歴史があり、年に2回の発表があるので今回が172回である。どちらも優れた文学作品に贈られる賞で、その内容には明確な違いがある。芥川賞は、新進作家による純文学の短編小説を対象とした文学賞。文藝春秋社が主催しており、対象となる作品は主に無名または新人作家の作品です。選考では、作品の芸術性や実験性、斬新な表現などが重視される。直木賞は、新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)が対象です。日本文学振興会が主催しており、選考では作品の面白さやエンターテイメント性、読者を惹きつける魅力などが重視されている。以上から、芥川賞は文学界に新たな風を吹き込むような革新的な作品が多く、直木賞は幅広い読者に支持されて読みやすい作品が多いのが特徴と言われている。そこで今回紹介の本が受賞された経緯について、選考委員の角田光代さんは、「1作1作、テーマや土地が異なるのに非常によく取材して、その土地で暮らす人たちの生きる姿やそこを訪れる人の姿を短編集とは思えないほど丁寧に書いている」と評している。更に「科学的な要素が入ってくるところが伊与原さんの作品の特色だが、単なるネタになっていないところが評価され『日常の科学が人間にどんな新しい世界を見せるかが書かれている』とか『科学的事象に意思を見いだし私たちを取り巻く事象として共存しようとする人間のありようが書いてある』といった意見が出た。人知の及ばない非常に大きなものと人間の小ささを対比させるのではなく、人間の小さな悩みを自然と同じくらい大きなものとし、共存して書かれている点がすばらしいと思った」と賞賛されている。著者をご紹介したい。1972年(昭和47年)、大阪府吹田市生まれ。神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻し博士課程修了。富山大学理学部助教を経て、2010年(平成22年)『お台場アイランドベイビー』で、横溝正史ミステリ大賞を受賞し作家デビュー。2019年(平成31年)『月まで三キロ』で新田次郎文学賞、静岡書店大賞、未来屋小説大賞を受賞。他には 『八月の銀の雪』『宙(そら)わたる教室』『オオルリ流星群』『蝶が舞ったら、謎のち晴れ気象予報士・蝶子の推理』『ブルーネス』『コンタミ科学汚染』などがある。

藍を継ぐ海(その1)          新たなエンタメ小説か
著者の経歴にもある通り専門は、地球惑星科学である。地球惑星科学とは、「地震学、測地学、地球化学、岩石学、地質学等が含まれ、地球を含めた太陽系惑星の表層より内部の運動を明らかにしようとする学問で、今後地球で起こりうる事象について観測やモデル化により説明しようとする学問だ」という。非常に広大で難しそうな専門分野である。しかし、著者は、さまざまな科学技術に関する事柄を小説に落とし込むのがうまく、また読者に分かりやすく解説してくれ、読みやすいうえに多くの知識を与えてくれる様に纏めている。この点を直木賞選考委員の角田光代さんが称賛している。本書では5つの短編物語として、科学が我々の身近な生活に根付く伝統や文化に結び付けて分かり易く書き上げている。①「夢化けの島」編は、陶土から知る地質学<火山島と陶芸の土>。②「狼犬ダイアリー」編は、ニホンオオカミと紀州犬の生態<絶滅したとされる狼と人間>。③「祈りの破片」編は、原爆資料と青白い光の正体<原爆の資料の保存>。④「星隕つ駅逓」編では、隕石と過疎化で廃止の郵便局<過疎化の町に隕石落下>。⑤「藍を継ぐ海」編では、ウミガメの保護と少女の成長<環境保全と海亀の生態>。以上は専門家のタイトルに対比して、筆者が身近な生活上のサブ・タイトルを付加してみた。この試みは、著者の科学知識や科学思考が日本の歴史や伝統と上手く融合された物語に構成されている点にスポットを当ててみたかった。著者の作品は、科学と文学を新たなエンタメ分野として開花させた印象が強い。今までに存在しない「科学と人間ドラマの融合物語」か。この機会に新分野の本書をお読み頂くのは如何か。

藍を継ぐ海(その2)            科学と伝統の町を継ぐ
著者は父方の祖父が徳島県海陽町の宍喰地区出身で、その関係からウミガメの産卵地は身近に感じて本書を書いたと言う。今回ウミガメをテーマとしたのは、「体内に方位磁石を持ち方角を把握しながら長い距離を何十年もかけて移動し、自分たちの産卵地へ戻る神秘性について、地磁気という科学的な根拠をもって描きたかった。科学が長年の営みであり、その未来に誰かが価値を見出していく科学の奥深さを感じたから」と語っている。また本書に登場するウミガメの産卵地の徳島県美波町には、ウミガメ専門の博物館が現存する。今回の直木賞受賞をきっかけにウミガメへの関心が高まることに期待すると、日和佐うみがめ博物館カレッタの館長は喜びを語っていた。この博物館は、世界でも珍しいウミガメ専門の博物館である。更に、「作品が徳島県のウミガメをテーマにしていて、とても光栄だと思っている。これをきっかけにウミガメに関心を持ってくれたらと願っている。ウミガメが置かれている現状は人の影響を強く受けている一方で、人の生活もあり、その中でいかに折り合いをつけて共存していくかを考えてくれたらと思う。ウミガメと人の関わり方を提案できる施設にしたい」とも言う。著者も「本書をきっかけに徳島県南部から県内でも地域振興に役立てれば嬉しい」と記者会見で述べている。実際に、普段あまり気にならない科学的事象や科学的知識から身近な地域の歴史や伝統と結び付いた話題となることは好ましいことである。著者は本書から科学と文学が身近にあると分かり易く教えてくれたパイオニアである。

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