関西P2M研究会コーナー
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アーキテクチャの魅力

関西P2M研究会 林 健太郎:5月号

 親の職業(建築設計事務所)の影響が多少なりともあった結果、大学及び大学院で建築学を専攻して卒業後はや20年が経った。その前半は、一級建築士の資格を取り、建設会社で設計業務を行っていたが、「アーキテクチャ=建築」であった。学生時代に建築史や建築論を学んだこともあり、言語的な意味(arche=ものごとのはじまり,techne=技術,など)は理解していたつもりだったが、「アーキテクチャ=建築=美しくかっこいい建築物」を創ることが私のアーキテクチャに対する理解のほぼすべてであった。転機は30代半ば、外資系顧客との工場建設プロジェクトへの参画で訪れた。彼らはアメリカ流のプロジェクトマネジメント(以下PM)を発注者側で実施し、受注者にもその枠組みを理解するよう求めていた。当時PMという言葉さえ知らなかった私は、プロジェクトチャーター、デリバラブル、などというPM用語を一般の英和辞典で調べながら、なんとか対応していた。しかし、そのうちに、その全体の流れの理解しやすさに感心し、「これからは日本の建設プロジェクトでも、マネジメントをしっかりやらなければだめだ」という熱い気持ちが湧いてきた。所属する会社の中で、幸いにもPM/CM(コンストラクション・マネジメント)を担当する部門があり、タイミングよく新規人員募集をしていたところに自ら手を挙げて建築設計からPMの世界に飛び込んだ。その時には、10年後に再び「アーキテクチャ」について考えることになるとは夢にも思っていなかった。
  P2Mとの出会いは、その誕生からであった。当時アメリカのPM協会の資格を取得すべくPM知識体系を勉強していた私は、その考え方には感心していたが、実際のプロジェクトへの実践では目に見えない壁を感じていた。PM知識体系が言う「プロジェクトは定義されていて、それをいかにうまく走らせて完了させるか」というのは私の日常からかけ離れていた。「プロジェクトをいかにうまくつくるか」が常に求められていたのである。その壁をブレークスルーする可能性を感じさせてくれたのがP2Mであった。しかも、そのプログラムマネジメントのくだりには、「アーキテクチャ」の文字がならんでいた!当時の私はまだITには全く縁がなかった(appleのpowerbookをワープロ、表計算、簡易CADとして使うぐらいであった)ので、アーキテクチャがIT用語として使われていることも知らなかったが、将来資格としてPMA(プロジェクトマネジメントアーキテクト)が設定されていたのには正直驚いた。この時に直感的にP2Mの将来性に希望を見出して、当時唯一設定されていたPMS(プロジェクトマネジメントスペシャリスト)資格取得の勉強を始めた。首尾よく資格は取得したが、その時には「アーキテクチャ」が何を意味するのかはまだ理解していなかった。5年前のことである。
 次の転機は、4年前、以前と同様に所属する会社内での異動にともなってやってきた。PM担当部門から経営企画部門への異動を希望して実現した。理由は、当時のビジネスモデルに対する疑問を解消し、新たなビジネスモデルをつくる必要性を感じていたからである。そこでITとの接点もできた。会社のビジネスモデルを一歩下がって眺め、それに適したITの在り方を考えるようになり、IT用語の「アーキテクチャ」とも付き合いだした。また、経営戦略論や組織論も勉強する機会が増え、P2Mの考え方にどんどん近付いていく自分を感じていた。しかし、それをどう実践に活かしていけるのか、どういう順序で考えればいいのかについては、まだ暗中模索であった。
 そして、「実践事例研究会」というチャンスに巡り合えたのが2年前である。プログラムの概念について東京ではプロファイリング研究会が始まっていた。一方関西では5つの分科会が独自のテーマで活動を開始し、その中にアーキテクチャ分科会があった。2年前の私は別の分科会で活動しており、2か月に1回の全体研究会の場でアーキテクチャ研究会の状況を把握することしかできなかったが、2年目に継続されると決まった時から参加しようと決めていた。そこで得た密度の濃い経験は、まさに「目からうろこがはらはらと」というものであった。先人が残してくれた論文を輪読し、メンバーの日常の問題意識をぶつけ合いながら、プログラムの概念がくっきりと浮かび上がってくる感覚は無上の喜びであった。今はそれを自分の日常のフィールドでどう具体的に活かしていくのかを実践する段階にある。
 私が今アーキテクチャを定義するとしたら「さまざまな要素を理解した上で構想されるグランド・デザイン」ということになろうか。所属する会社のルーツである宮大工も「棟梁」と呼ばれ、発注者になり代わって建築プロジェクトのすべてを差配する「アーキテクト」と言える。アーキテクチャの考え方は、変化の早い環境においては、さらに真価が問われる。今後、日本及び世界がどのような道をたどろうとも、様々な分野でアーキテクチャの重要性が認識され、その実践に役立つ人間としてPMAが多数輩出される時代が来ることを願ってやまない。そのために私ができることを、これからもあまり背伸びをせずに楽しみながら継続していく所存である。
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