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パーソナルプロジェクトの勧め (3)
~「アラ還プロジェクト」実行中~

プラネット株式会社 シニアコンサルタント 中 憲治 [プロフィール] :6月号

世界五大陸マラソン完走プロジェクト
Ⅰ.北アメリカ大陸「ボストンマラソン」編 (続き)
3.パーソナルプロジェクトとネットワーキング
 PMAJでもそうであるが、PMIなどのプロジェクトマネジメント関連の組織では、ネットワーキングを推奨している。自分一人での経験と知識は、あまりにも狭くかつ少ない。
プロジェクトを通じて知己を得た人達から得る知見、あるいはプロジェクトマネジメントの経験を持つ人々との交流の中で得た知見は、自らのプロジェクトマネジメント遂行の中で大変有意義であるからだ。同じように、パーソナルプロジェクトで知り合った人々から得る知見も大変有意義である。それは、目標達成の意欲を湧き立たせてくれること、また次なる目標設定に刺激的な情報を与えてくれるからである。
4.山田敬蔵さんとの出会い
 私のボストンマラソン出場は、忘れられない人との出会いをもたらした。それは、“山田敬蔵”さんとの出会いである。山田敬蔵さんは、日本のマラソンランナーの先駆者の一人であり、1953年のボストンマラソンの優勝者である。(ちなみに日本人最初の優勝者は田中茂樹さんで、1951年に達成しており、山田さんは2番目の優勝者である)。山田さんは、1995年(優勝から44年後)から連続してボストンマラソンに出場し私の参加した2004年は連続10年目、優勝してから50年後(なんと当時77歳である)にあたる。この時山田さんから伺った話によると、毎朝2時半に起床、26キロを走っているおり、これを生涯続けているとのこと。ボストンマラソンも4時間以内(サブフォー)で走ることが目標とのこと。この年は、山田さんが10年連続で出場する記念の大会であったことから、ボストン市内は山田さんの優勝時の写真がポスターとしていたるところに飾られていた。

<大会前日のモーニングランを終えて、山田さんと> <山田さんの優勝メダル>
<大会前日のモーニングランを終えて、
山田さんと>
<山田さんの優勝メダル>

5.山田さんとの出会いがもたらしたもの
 77歳にしてこの意欲的な目標、そのために毎日26キロのランニングを続けているとのこと。この話を聞いて“お前は何をやっているのだ!?”“もっと高みを目指せ”と叱咤激励された気分となった。この時の私の年齢は55歳、20年後に山田さんと同じように高い目標を持ち続けられるのか?そのためには今何を行うべきなのか?20年後の目標は何を掲げられるのか?そのためのマイルストーンとして5年後、10年後に何を目標として設定すべきなのか、考えさせられることは幾つもあった。出来ることの一つは、高い目標を持った人達とのコミュニケーションを常に持ち続け、自らに刺激を与え続けることとの結論は得たが、山田さんとの出会いは人生における重要なマイルストーンであったといえる。
 山田さんとは、その後数年にわたり年賀状を交わすことを続けたが、そのきっかけは、ボストンマラソン大会の懇親会で、私がマラソンコースの応援風景を写真撮影していたことを山田さんに話して、その写真の一部をお見せしたところ、「私はこのコースは何度も走ったが、そのコースを写真に撮ったことはない、その写真を是非ほしい」と要望され、帰国後写真を送りしたことから、交友が続いたことにある。
マラソン大会の風景を写真に撮ることは、私のマラソンプロジェクトのスコープの一つとして設定しているが、それが新たな交友のきっかけとなったことはうれしい限りであった。

 

 パーソナルプロジェクトの場合、やってみたいが目標を何にすればよいのか悩んでしまうとのことをよく耳にする。このことに対する答えは一つ、「一人で考えて悩んでいても始まらない、まずは何でもよいから一つを定めて一歩を踏み出せ、そこで得た人脈から新たな情報と刺激を受けると、自ずから新たな目標が見つかる」これが答えである。
次号は、Ⅱ.ユーラシア大陸編「万里の長城マラソン」について書きたい。
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