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パーソナルプロジェクトの勧め (2)
~「アラ還プロジェクト」実行中~

プラネット株式会社 シニアコンサルタント 中 憲治 [プロフィール] :5月号

世界五大陸マラソン完走プロジェクト
Ⅰ.北アメリカ大陸「ボストンマラソン」編
1.すべてはここから
 「アラ還プロジェクト」のすべての始まりは「ボストンマラソン」にある。
2004年4月19日(月曜日)朝7時、私はボストン中心街から西方26マイルの地点にあるHOPKINTONの地に立っていた。これから3時間後に始まる第108回ボストンマラソンのスタートを待っていた。ボストンマラソンは、毎年4月の第3月曜日、マサチューセッツ州のパトリオットDAYの日に行われる。パトリオットDAYとは、アメリカ合衆国の独立のきっかけとなったレキシントン・コンコードの戦いを記念した祝日である。
ご存知の方も多いと思うが、「ボストンマラソン」は市民マラソンとしては世界で一番歴史があり、マラソンを行う人のあこがれの大会の一つである。
HOPKINTONの街は「ボストンマラソン」スタート地点にあたり、“IT ALL STARTS HERE”の看板の前に立つのが「ボストンマラソン」を目指すランナーの夢である。私の「アラ還プロジェクト」もまさに“すべてはここから始まった”といえる。


元々は、健康管理のために始めたジョギングが次第に“病膏肓入る”の状態となり、次第に距離を伸ばし、かつ少しでも早く走ろうと考え始め、そのうちに「フルマラソンをサブフォー(4時間以内)で」という具体的目標になったころには、いつかは「ボストンマラソン」に参加するという夢を描いていた。
 しかし、ボストンマラソンにオフィシャルに参加するには、市民ランナーにとって結構厳しい前提条件をクリアーすることが必要で、5歳刻みの年齢区分ごとに直近2年間の公認大会で定められた制限時間をクリアーしなければならない。当時の私の年齢区分では3時間半以内が制限時間であり、この前提条件をクリアーするために練習を重ね次第に目標に近づいていったものの、もともとランナー体型でないことや、柔らかな身体でないことも相まって、故障を繰り返し、「ボストンマラソン」参加の夢も“パーキングロット”に入った状態となった。

2.その目標は価値あるものか
 「ボストンマラソン」参加の夢は、2003年10月に“パーキングロット”から出庫され、実現にむけて走り始める。2004年4月、米国東部のコネティカット州で開催されるプロジェクトマネジメントのシンポジウムに参加することが決まり、開催場所を調べるとボストン近郊であること、シンポジウムはボストンマラソンの前週の金曜日に終わることが分かり、再び「ボストンマラソン」参加が目標になり、実現させるための計画策定に入った。
現地合流できるボストンマラソンツアー探し、6か月の練習計画策定、目標が具体的になると今まで障壁と考えていたことも難なく乗り越えられる。もっとも、オフィシャル参加のための制限時間クリアーは叶わず、オープン参加となったことは明らかな“スコープ変更”である。
 プロジェクトにおいては、立ち上げのプロセスにおいて目標を明確にすることが重要である。パーソナルプロジェクトにおいても、目標設定が夢を実現させるためのクリティカルパスであるといえる。それも“価値ある目標設定”が必要である。夢と目標の違いはそこに価値を見出しているかどうかであるともいえる。
 私の、“フルマラソンを「サブフォー」で”の目標は、①当時それが市民ランナーである最低限の条件、それ以下はジョガーといわれていたこと、②私にとってはストレッチな目標であったこと、など私自身の価値ある目標として捉えていた。
ボストンマラソン出場も①それが世界で一番歴史のある市民マラソン大会である、②終盤に心臓破りの丘があり、世界のトップランナーを苦しめるコースであること、など一度は走ってみたい“価値ある目標”であった。


 仕事の師であり同僚である中嶋秀隆氏がその著書「死ぬまでに達成すべき25の目標」(PHP研究所刊)の中で、私のボストンマラソン出場のことを次のように書かれている『A氏の頭の中には、かねてから「ボストンマラソンを完走する」という目標がしっかりとインプットされていた。だから、「コネティカット州で4月に会議がある」という情報が目標とスパークし、実現に至ったのである』身に余る言葉とはこの様なことをいうのであろうが、実のところ当時の私はボストンマラソンの目標をしっかりとインプットしていたわけではない。しかし、この文章を読んで気づかされたことが2つある。
それは、無意識のうちにボストンマラソンを走ることを“価値ある目標”として捉えていたこと。そして、無意識ではなく、明確に目標として設定し、時期はともかくいつかは実現しようと意識して実現の道を模索していくこと、これが夢を実現のものとする近道であるということ。ボストンマラソンから得た2つの教訓がその後の「アラ還プロジェクト」に繋がっている。次号ではボストンマラソンでの幾つかの出来事を書きたい。

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