PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(120) 「不適格なPM群像 11」

高根 宏士: 8月号

8 木を見て森を見ず型の人
 このタイプは興味本位からか、不安からか、やたら細かいことに首を突っ込み、全貌に目がいかないPMである。
 次のような例がある。2人のプロジェクトメンバーがPMのところへ来た。一人(A)はプロジェクトとしてはそれほど重要度の高くない作業の結果報告であり、結果自体に問題はなかった。もう一人(B)はプロジェクトのスコープについて、その日に顧客と打ち合わせするための方針と具体的内容について、PMとすり合わせすることであった。Aがタッチの差でPMに面談ができた。Bは待つことになった。
PMはAの報告書を見ながら、説明を聞いていたが、途中から報告書の文章における漢字や「てにをは」の使い方にいくつか適当でないものがあるのが気にかかり、その一つ一つ自分の知識から延々と講釈し、時間を費やしていった。Aは頭を下げて聞くだけであった。Bは顧客のところへ行く時間が来てしまったので、打ち合わせ用資料をPMの脇にそっと置いて出かけた。Bが客先から帰ってくるとPMはBの資料が如何に拙いかということを延々と説明し、こんなものでは自分は責任を持てないと騒ぎたてた。
 このPMは典型的な「木を見て森を見ず型」である。プロジェクトとしてみれば、Aの報告は遅れても問題ないし、場合により報告がなくてもプロジェクトにはほとんど影響しない。しかしBの件はこれからのプロジェクトに大きな影響をもたらす。したがってその時点ではAを待たせてもBからの相談を受けなければならない。このPMはプロジェクト全体を考えず、自分で判断できる断片的な作業を精緻にすることがPMとして責任を果たすことと勘違いしている。もっともこのようなPMは自分のプロジェクトの勘所もわからず、ただバタバタしているだけの場合がほとんどである。
 このようなPMが言い訳的によく云うのは「Bの相談がそんなに重要ならば、なぜもっと早く持ってこないのか」である。しかしこれを言うことは益々そのPMが馬鹿であることを証明することになる。Bから言われなくては重要性がわかないようならば、PM担当能力はない。
 PMは個々の作業を死に物狂いに一所懸命することが役割ではなく、プロジェクトを成功裏に終わらせることが役割である。そのためにはプロジェクトの目的と成功のイメージをきちんと認識し、それに照らしてプロジェクトが現在どのような状況にあり、各メンバーがどんな作業をしているのか、その進捗状況はどの程度かを把握するように常に意識していなければならない。すなわち意識として、プロジェクトの個々の作業(木)に埋没することではなく、プロジェクト全体の風景(森/形勢判断)を観るようにしなければならない。
今回のPMは、本人としては一所懸命やっているつもりであるが、プロジェクトはどこへ行くかわからなくなる。羅針盤の読み方を知らない船長であり、大海へ出たら、遭難すること間違いない。しかしこのタイプに限って「自分は精一杯やっている。他はさっぱりやっていない」と騒ぎたてるので始末が悪い。
 江戸時代に昌平黌の儒官(現代でいえば東大総長)だった佐藤一斎の言志四録に次の言葉がある。

「一物の是非を見て、大体の是非を問わず。一時の利害にこだわりて、久遠の利害を察せず。政を為すに此のごときは危し」

 この中の「政」を「プロジェクト」に置き換えると今回のタイプになる。

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