PMプロの知恵コーナー
先号   次号

「原発事故」 (4) 事故発生は時系列的にどんな順序で起こったのですか

仲 俊二郎/小石原 健介 [プロフィール] :4月号

 地震が起こった3月11日午後2時46分ごろ、福島第1原発では、運転中の1~3号機の原子炉が自動停止しました。自動停止後は以下のような状況をたどっています。
停止してから40分後の午後3時27分に津波が到達した。来襲した津波は、これまで想定していた高さ6.1メートルを遥かに超える、11.5~15.5メートルという高さで第1原発を一気に飲み込んだ。
海抜4メートルの海岸に設置されていたディーゼル非常用発電設備と燃料タンクは真っ先に被害を受けた。燃料タンクは流され、発電設備は冠水し、機能が失われた。
1~4号機原子炉建屋、タービン建屋は全面浸水になってしまった。そのためタービン建屋の地下にあったバッテリー電源設備は一瞬にして電源が失われた。
外部電源は敷地付近の送電鉄塔が倒壊し電源が失われた。このように原発は全電源の喪失によって、燃料を冷却できない事態に至った。
午後3時42分1号、2号機で緊急炉心冷却システム(ECCS)が機能不全となった。またもう一つの原子炉を冷やす非常用の原子炉隔離時冷却系も機能不全となった。この時点で、地震発生から5時間44分で炉心の冷却は完全に機能不全に至った。

 表2「事故発生時系列表」(ここでは割愛)は、事故発生から5日間すなわち11日から15日までの経過を分刻みに記録しています。表2による当時の焦点は、壊れた燃料から生じた水素ガスや水蒸気で格納容器内の圧力が高まって壊れるのを防ぐため、外部に気体をベント(排気)する作業でした。
 電源を失い真っ暗になった建屋内で、作業員らは極めて過酷な作業環境のもとで、放射線防護服に身を包んで懐中電灯を頼りに、手探りの対応を強いられていたのです。被曝限度の恐怖にさらされながら、現場の作業員は決死の思い出で作業に当っていた様子を、当時の緊迫した中に伺い知ることができます。

 しかしここで疑問があります。はたして日頃から全電源喪失を前提とした訓練が十分に行われていたのか。またベント弁の操作に習熟していたのか。こういった疑問です。
 今回のケースでは、非常用発電設備の復旧は全く期待できないことから、最優先すべき初動は外部電源の復旧でした。これは疑問の余地がありません。外部電源の復旧なしに原子炉の安全な冷温停止はあり得ないからです。

 最初の報道によると、送電線を補修して電気を引き込む作業には10~15時間ほどかかると報告されていました。全電源が喪失した時点の11日16時から外部電源の復旧作業に着手しておれば、少なくとも翌日12日の午前中には電源の復旧が可能であったと推定されます。ところが実際に外部電源の復旧作業に着手したのは、1号機、3号機の炉心溶融(メルトダウン)、4号機を含めた原子炉建屋の水素爆発、2号機原子炉格納容器の穴あき、これらによる大量の放射線物質の漏えい・拡散という最悪の事態を招いた後、何と電源喪失から6日後の17日なのです。
 事故発生後5日間の詳細な作業を検証しても、外部電源の復旧作業に当った形跡はありません。そして実際に外部電源が届いたことが確認されたのは、20日午後3時46分、実に電源喪失から9日間も要しているのです。
 なぜ外部電源の引きこみ作業に間髪を入れず全力を注ぐことが出来なかったのか。この疑問は今回の事故を検証する上での核心の一つと言えるでしょう。プラント運転管理技術者の目から見れば、まったく理解できないし、納得がいきません。

 また、当時の焦点であったベント作業について、ベント弁を開閉するための電源を喪失しており、結果として原子炉建屋の爆発を防ぐことは出来ませんでした。
 1号機炉心溶融、つまり原子炉の底にたまる炉心溶融が始まったのは、全電源喪失からわずか数時間後の11日午後8時0分ごろと分析されています。
 格納容器内の温度は設計想定の138度Cを大幅に上回る300度Cに達していました。高温のため配管のすき間をふさぐゴムパッキンなどが溶けて、水素ガスなどの放射性物質を含む気体が外側の建屋に漏れ出しました。その後の調査で排気筒へ向かうベントの配管は原子炉建屋とつながっていて、15日に起こった4号機爆発は14日に爆発を起こした3号機の水素がベントで逆流して流れ込んだ可能性が高いとされています。このあたりにも設計上の問題があったと思われます。
 電源の喪失から数時間で炉心溶融がはじまったことを考えると、こうした事態に備え後述する海外の原発で原子炉建屋の屋根に設置されている、Dowsing Tankと呼ばれる貯水槽が是非とも必要でした。緊急事態へ備えての技術的対応の不備は、今回の事故の大きな反省点であります。
 ベント弁の操作がスムースにいかず手間取ったことも、14日の3号機、原子炉建屋の爆発を防げなかった原因の一つです。このベント弁は付近が被爆限度を超える放射線量であることから弁にたどりつけずに引き返しました。通常、緊急時の重要な弁については、電源が喪失しても油圧や空気圧により、確実にしかも比較的放射線量の低い場所に設置されており、遠隔操縦できるバックアップ装備を備えています。そういった基本的な配慮がなされていなかったというのは、致命的でした。

 このように今回の事故により原発がシビアアクシデントに対応できない状態であったことが改めて検証されました。次に事故発生3月11日から15日まで5日間の時系列を示した図表は6ページにわたるのでここでは割愛します。

現場の実態

ページトップに戻る