PMプロの知恵コーナー
先号   次号

「原発事故」 (3) 4つの事故調査委員会の報告書

仲 俊二郎/小石原 健介 [プロフィール] :3月号

1 福島第1原発事故で4つの事故調査委員会の報告が出ていますが、それぞれ事故原因をどう述べていますか
 2012年7月23日、政府事故調査・検証委員会の報告を最後に、先の民間事故調査委員会、東京電力事故調査委員会、国会事故調査委員会を含めて4つの異なる報告書が出揃いました。なぜ原発事故が起きたかその原因と責任の所在については、それぞれの委員会でつぎのような異なる見解が報告されています。
● 民間事故調査委員会
   民間の立場から事故原因を調べ、その要点を以下のように指摘しています。
日本が地震国であるにも拘わらず、原子力安全規制はそのことを忘れ、地震や津波などの外部事象に対する備えが不十分であった。
官邸の初動対応が場当たり的で、泥縄的危機管理であった。官邸主導による目立った現場への過剰介入があり、そのほとんどは評価できなかった。
 このように原子力安全委員会や東電、政府の能力欠如が背景にあったと論じています。また、「安全神話」や「原子力ムラ」といった社会的背景にも意欲的に切り込みました。
原子力工学や政治学、公共政策などを専門とする研究者や弁護士、ジャーナリストがメンバーとなり、ヒアリングには当時の管首相はじめ官邸中枢で事故対応に関わったほとんどの政治家や官僚、原子力関係の責任者が調査に応じましたが、なぜか東電は最後まで拒否しました。
● 東京電力事故調査委員会
   社内および外部有識者によって調査しましたが、その要点は、
想定を超えた津波が押し寄せ、電源が喪失して、こういう結果になったというのです。
 原子力関係者全員が、安全確保のベースとなる想定事象を大幅に上回る事象、つまり大津波を想定できず、その点、甘さがあったと言わざるを得ないと述べています。津波に対する備えが不十分であったことが根本的な原因であると認めているのですが、その甘さは自分たちの責任ではないというふうなニュアンスがうかがわれます。
● 国会事故調査委員会
   この報告で、実に情けない実態が浮き彫りになりました。どういうことかというと、規制する側が規制される電気事業者(東電)の(とりこ)となるという、逆転関係があったのです。
 規制の虜とは、規制機関が規制される側(被規制)の勢力に実質的に支配されてしまうことをいいます。この場合、規制機関が下す許認可が、逆に被規制側にお墨付きを与えることになってしまうのです。
 情けないことに、歴代の規制当局による東電への監視機能が崩れていました。だから事前に対策を立てるチャンスを失ったのだと、結論づけています。
 原発が地震にも津波にも耐えられない状態をシビアアクシデント(過酷事故)といいますが、この過酷事故の原因は明確で、もしこの虜さえなく、適正に機能していたなら、今回の事故は防げました。もう少し詳述しましょう。この報告書で注目すべき点は、「電力会社の虜」として、規制当局である保安院の問題を指弾していることです。
 保安院は経済産業省の外局である資源エネルギー庁の特別機関です。規制当局としてみた場合、人材的にも組織的にも、アメリカ原子力規制委員会などの原子力先進国に比べ、余りにも弱体です。保安院の弱体は重大です。原発を国家としての視点でなく、経済産業省という一省庁の所管として扱っているということです。ここに今回の原発事故の本質的な問題の一つがあります。
 なお保安院は2012年秋に廃止され、環境省の外局である原子力規制委員会に移行しました。しかし看板を変えても本質的な問題は解決されていません。それでは、政府も官僚も全く事故の反省をしていないことになります。保安院の検査官は電力会社が作成した書類の山の中で仕事をしており、現場へ出ることを怠っています。
 これはアメリカ原子力規制委員会(NCR)とは大きく異なります。NCRの検査官は書類に埋もれるのではなく、現場主義に徹しているからです。プラントというものは、原発であれ一般機械であれ、現場監視に学ばねばなりません。「電力会社の虜」となった日本の検査官の徹底的な意識改革が求められています。
● 政府事故調査委員会
 報告では、東電の大津波に対する緊迫感と想像力の欠如を指摘しています。
政府の複合災害を想定した危機管理の不備。
想定を超える津波襲来の可能性があるという知見がありながら、東電は対策をとらなかった。
東電も国も複合災害を考えていなかった。
東電の事故原因の究明は不徹底で、再発防止に役立てる姿勢が不十分。

4つの報告書から見えてくるもの
 報告書は、事故の背景として、東電を含むすべての電力会社も国も、炉心溶融のような過酷事故は起こり得ないという「安全神話」にとらわれ、安全を優先して考える姿勢を持つ安全文化が欠けていたと指摘しています。事故防止策の危機管理態勢が不十分であったということです。
 国会事故調査委員会は事故原因を人災であると明言していますが、他の3つはいずれも地震や津波による自然災害の影響を大きな原因として取り上げています。
 すでに国民はこれらの報告書を待つまでもなく、今回の事故は、「原発は安全だ」と宣伝し原発を推進してきた学者、官僚、電力事業者やマスコミの安全への認識不足、シビアアクシデントに対する備えへの怠慢によるものであると考えています。
東電の社会的責任
 東電が当事者意識を欠いていることは言を待ちません。特に事故の根本的な原因を津波の影響に帰し、自らの責任を不可抗力のようなものに転嫁している姿勢には、一国民として強い憤りを感じます。しかしこの日本は不思議な国です。東電の経営責任は追及されることはなく、テレビ会議の資料が司法当局に押収されることはありませんでした。
 事故発生の根源的な原因にも触れず、ひたすら自己保身と責任回避につとめる東電の姿勢は、まさに今日の無責任時代を象徴していると言っても過言ではないでしょう。
 一部の調査委員会を除き、報告書はいずれもこれまで原発を推進してきた学者や官僚、電力事業者を弁護する立場の色彩が色濃く出ています。これでは事故調査委員会として、今回の事故から教訓を学びとることは困難です。
 東電の事故報告は事故の責任を認めていません。ではなぜそんな態度をとるのでしょうか。それは認めてしまうと、国からの支援が受けにくくなったり、訴訟で不利になったりする恐れがあるためです。こうした姿勢は自分たちの自己保身を最優先するもので、自らの責任を回避したいだけです。これでは未曽有の原発事故を起こした当事者としての社会的責任をどうとるのか、まったく不明です。
 また事故の当事者しか知り得ない情報についても、都合の悪いものは明らかにせず、恣意的に使っています。真相の究明には欠かせない事故時の発電所と本店のテレビ会議のやりとりについても、社内資料で映っている人のプライバシーが侵害されると一方的な理由をつけて、肝心な部分は公表しませんでした。東電のこうした姿勢は、真摯に事故原因とその責任に迫ろうとしないばかりか、自己保身と責任転嫁に走り、事故を起こした当事者としての社会的責任からは程遠いものと言うほかありません。
事故調査委員会の人選
 事故調査委員会の委員の人選についても、おかしなことばかりです。表1「事故調査委員会名簿」に示すとおり、司法関係者を中心にいずれも錚々たる学識経験者や著名人を集めています。ところが人選された委員は皆有名ではあっても、原発事故とは畑違いの人たちです。こんなことで本当の実態が解明かつ分析できるのでしょうか。
 東電自らが技術的決断力を持たない現実を考えると、委員の人選には、炉心の溶融事故に詳しい技術者や、原発や他の産業プラントの運転管理に通暁した技術者、あるいは設備の詳細を知るメーカーの技術者等が加わるべきでした。
 だから残念ながら報告書の内容については、いずれも想定外の津波に帰する分析がほとんどで、原発の「命綱」である電源喪失、なかんずく、外部電源喪失の復旧作業の分析はまったくなされていません。最も重要な原因分析がなされていないのです。
 それに加え、もう一つ重要な分析が欠落しています。それは福島第1原発から11年遅れの1982年に稼働を開始した福島第2原発は、第1原発から南へ約12km離れた福島県双葉郡楢葉町と富岡町にまたがっています。ここでは4基の原子炉はすべて運転中でしたが、原子炉・タービン建屋はほぼ無傷で原子炉は安全に冷温停止状態になりました。この福島第2原発との「違い」が何であったのかを分析しなければ、事故の真相を検証することは出来ません。
 このように、いずれの報告書も事故の核心をついていないものに終わりました。そうなった理由の一つに、事故発生の当事者である東電が、事故当時の必要な情報を持っていながら全ての情報を開示しなかった卑怯さにもあるでしょう。

図表 1 「原発事故調査委員会名簿」(出典 事故調査委員会報告)

図表1「原発事故調査委員会名簿」(出典 事故調査委員会報告)

以上
ページトップに戻る