PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(60)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :3月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

4 涙
●悪夢工学
 前号で読者に以下の「問」を提示した。
どの様な「人物」が平然と平気で人の「夢」を破壊するのか?
彼らはどの様な「性格」の持ち主なのか?
どの様にして彼らを「見抜く」か?
彼らの夢破壊工作をどの様に「排除」するのか?

「夢」を破壊する人物の仮面の裏に隠された本性を見抜かねば、破壊工作を排除できない。 「夢」を破壊する人物の仮面の裏に隠された本性を見抜かねば、
破壊工作を排除できない。

 筆者は、この「問い」に対する「答え」を探して長い間、悩んだ。「問い」の中で単数の「人物」と複数の「彼ら」と使い分けたのは、異なる性格の持ち主又は複数の人物が束になって「夢」を破壊するのではないか? と考えたためである。この漠然とした予測は後に的中した。

 前号で「サブ・タイトル」として使いながら、その内容を一切説明しなかった箇所がある。「おかしい?」と気が付いた読者はいただろう。説明せず、「伏線」として使ったサブ・タイトルの「悪夢工学」こそ、筆者が長い間、悩んだ末に辿り着いた「答え」である。その概要を紙面の許す範囲と本稿の主題に反しない限りで以下に順次説明してゆく。

●夢破壊者
 平然と平気で人の「夢」を破壊する人物は、人を騙すこと、裏切ること、失敗させることなど「屁」とも思わない人物である。己の私利私欲、己の責任回避、己の権力獲得のため、あらゆる策略を巡らせ、迷わず行動する人物でもある。「悪意、悪徳、悪人」の人物と言っても言い過ぎではないだろう。

 この様な人物は、エンタテイメントの世界、例えば映画、ミュージカル、演劇では、「悪玉」として登場する。この悪玉は、この世界で極めて重要な役割を果たす。

 権力争いのため、己に刃向う人物を巧妙に罠に掛けて、排除し、罪を被せて、法の力で殺す。韓国のTV番組の「イ・サン Yi San」、「トンイ Dong Yi」などは、悪玉と善玉の戦いの物語であり、「負のエンタテイメント」を底流に置いた連続ドラマである。

出典:韓国TVドラマ「イ・サン」Sinopsis Drama Korea 出典:韓国TVドラマ「トンイ」Sissilioo
出典:韓国TVドラマ「イ・サン」
Sinopsis Drama Korea
出典:韓国TVドラマ「トンイ」
Sissilioo

 この種の連続ドラマは、「悪玉」の巧妙で大胆な暗躍と「善玉」の苦節・苦難の日々の活動を対峙させる。視聴者の関心、好奇心、感情を湧き立たせ、「涙」させ、「命」がけで戦う「主人公」に感情移入させ、共に「悪玉」と戦わせる。そして遂に陰で操っていた真の「悪玉」を突き止め、撃退し、ハッピーエンドで幕を閉じる。これによって視聴者は、累積した緊張感から一気に解放され、納得し、満足する。この種のエンタテイメントの「常套手段」である。

 この様な「緊張と解放」を連続ドラマの毎回のエピソードの中で視聴者に味あわせる一方、ドラマの幕開けから幕切れまで、一貫したコンセプトのストーリーを展開する。もしこの様なコンセプトと方法で「負のエンタテイメント」を展開しないと、人々の共感を失い、時に反感を買い、連続ドラマは失敗に終わる。

 「エンタテイメント」は、「正」でも、「負」でも、その制作作りと提示の仕方に於いて、視聴者の「理性」と「感性」への「同時・同質」の訴えが勝負である。それを誤ると、一瞬にしてすべてが崩れてしまう。恐ろしい世界である。

 多くの日本人は、エンタテイメントを「歌舞音曲」と軽視し、時に蔑視する。とんでもない誤解である。人々を納得させ、共感させ、感動を与えるエンタテイメント作りは、新しいモノ作りや新しい技作りと同様、極めて難しい。時にはそれ以上の困難を伴う。

●悪夢の経験
 さて誰しも経験があろう。心血注いで取り組んだ「夢」の事業プロジェクトを、私利私欲や身の安全を守ることに汲々とする人物によって失敗させられ、潰されたことを。そして憤りと悔しさで夜も寝られず、悪夢の日々を過ごしたこと、人知れず密かに「涙」を流したことを、、、、。

 悪夢苦悩者に更に辛いことは、自分を苦しめた「夢破壊者」が今も、のうのうと社会的に高い地位に居座り、世の中を牛耳っている姿を目撃することであろう。この様な人物の存在を許してよいのだろうか?

●心に誓ったコトと気付いたコト
 筆者は、経常的業務を遂行した時より、新しい事業プロジェクトを立ち上げ様とした時に、何度も、何度も「裏切られ」、「煮え湯を飲まされ」、「悪夢の日々」を体験している。世の多くの悪夢体験者も同じではないか。しかも自らの責任に帰すべきことで失敗した事例よりも、失敗させられた事例の方が圧倒的に多かった。今後もそうであろう。本当に残念なコトである。

 筆者は、ある時、ある事を心に誓った。それは、悪夢に耐えて「涙」するのではなく、夢破壊者と戦い、悪夢を体験させた人物に復讐することであった。しかし実際に物理的又は精神的な復讐を断行することではない。筆者自身のために、世の多くの悪夢苦悩者のために、自分の「復讐心」を昇華させる一方、夢破壊者の本性を暴き、悪夢を防ぐ、所謂「堂々たる復讐方法」を考えることであった。その方法を考えるための最初の課題が冒頭の幾つかの質問である。

出典:復讐 images.search.yahoo.com
出典:復讐
images.search.yahoo.com

 筆者は、この方法を求めて様々な本や雑誌などの情報を集める一方、多くの人の意見を聞いて回った。心理学、犯罪学などの分野にも「答え」を求めた。しかし求めれば、求めるほど「答え」が分からなくなり、泥沼に入っていった。しかもこんな探究など幾らしても一銭の「金」にもならないのである。

 そして気付いたコトは、この様な探究分野に於ける筆者の知識レベルの低さと実力の無さであった。悔しかったが、仕方がないことであった。しかし諦めずに挑戦を続けた。その過程で他に気付いたコトがあった。

●暗黙の前提(Impricit Assumption)
 他に気付いたコトとは、犯罪学、犯罪心理学などを除き、世の中に数多く存在する理論、例えば、経営学、組織人事論、プロジェクト・マネジメント論などは、「善意、善徳、善人」の人物を「暗黙の前提」として構築されていることであった。換言すれば、「悪意、悪徳、悪人」の人物を前提としていないことであった。このコトは何を意味するか? しかもこれらの前提は、「当然のコト」と思われるかもしれない。しかし本当にそうであろうか。筆者は、すべてを疑ってみた。

 日本にも、世界にも、物凄い数の会社が存在する。その中で最初から明らかに悪徳商法、違法商行為、違法生産などを承知で事業を展開する「悪徳会社」が存在する。しかしその様な会社を除けば、殆どが「適法会社」であり、「普通の会社」である。しかし「我が社には、その様な悪玉の社員、悪玉の管理者、悪玉の社長など絶対に存在しない」と言い切れる会社は何社あるだろうか?

出典:悪玉の暗躍 images.search.yahoo.com
出典:悪玉の暗躍
images.search.yahoo.com

 日本に数多くある「組織人事論」は、既述の通り、「善意、善徳、善人」の人物を暗黙の前提で構築され、多くの会社で活用されている。しかしこれらの「組織人事論」は、「悪意、悪徳、悪人」の人物を識別し、彼らの意思決定や行動を事前に察知し、破壊工作を防止する様な機能は本来持ち合わせていない。

 筆者の調べた限りでは、この様な人物の暗躍を防ぐ「組織人事論」は、海外のことは分からないが、日本には存在しない。「組織人事論」だけのことではない。多くの企業が組織人事制度を制定し、日々運営している。しかしこの様な人物の暗躍を前提にして制定され、運営されていない以上、彼らの暗躍に対しては、当該企業は全くの「無防備」であるということだ。

 もっとはっきり言おう。この様な人物は、企業の中で密かに、思いのままに、社内を牛耳り、誰よりも早く出世する一方、多くの人物を苦しめ、度々「悪夢」を与えているであろう。これは、映画や演劇などの「エンタテイメントの世界」での話ではない。現実の世界の話である。

 更に言えば、これは、「組織人事論」だけではない。会社の命運を決める「経営戦略」を策定し、実行する場合にも、この様な人物が暗躍する。しかし彼らの暗躍と破壊工作を防ぐ「経営戦略論」は、筆者の知る限り、日本では見当たらない。
つづく

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