関西P2M研究会コーナー
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SQA活動から、プロマネへそしてカウンセリングへ

関西P2M研究会 土肥 正利 [プロフィール] :10月号

1.はじめに
ソフトウェアの開発に関わる皆さんはSQA(ソフトウェア品質保証)という言葉を既に聞きなれている事でしょう。まだ、「SQA」と言う言葉があまり知れ渡っていない1994頃、私は品質管理部、品質センターと言う名称の組織のもと、ソフトウェア開発プロジェクトの品質保証活動に従事していました。

1990年頃のIEEE の用語集(Standard Glossary of Software Engineering Terminology)では、「品質保証」について次のように記述されていました。
  品種や製品が技術的な要求を満たすことについての適切な自信を持つために必要な、システマティックで、かつ計画された全ての活動に関するパターン
  製品が開発され、あるいは製造されるプロセスを評価するためにデザインされた、一連の活動
そのまま読むと今もって分かりにくい内容ですが、
  ①は、 品質を確保するためのソフトウェア開発におけるプロセスや手順が組織として整備されていること。
  ②は、 ソフトウェア開発活動がそれらプロセスや手順を確実に実施していることを評価・監視する活動
と、受け止めています。

2.SQAとプロジェクトマネジメント
当時は手探りで、プロジェクトマネジメントの理論と知識を品質保証活動に生かそうと、1999年に情報処理技術者のプロジェクトマネージャ資格を、2004年にPMS資格を取得しました。
実際の開発プロジェクトをマネジメントする立場ではなく、プロジェクトの進捗・リスク・課題などをヒアリングし、プロジェクトマネジメントや品質管理の知識に基づき、第3者の立場からアドバイスを行っておりました。時には、危機的状況のプロジェクトについて、その情報を経営責任者へエスカレーションし、組織としてのプロジェクト支援や、立て直しの為に品質部門としてプロジェクトに参画していました。
そうした中、不慣れなプロジェクトのリーダを任された若いメンバーや、厳しいコスト、納期、先の見えない品質問題や、プロジェクト内の人間関係などに大きなプレッシャーを感じているプロジェクトリーダ達に幾度となく接して来ました。
したたかに、一度の失敗でへこたれず、大きなプレッシャーを乗り越え次のプロジェクトを任せられ、一層成長していくメンバーも数多くいましたが、中にはもう一歩というところで自信を失い、プロジェクトから離れていく者、他社へ移っていく者もいました。
数字や金額で表せませんが、5年、10年と育てたメンバーが会社を去る話を聞いたり姿を見ると、その投資や損失は大きな金額になっており、会社にとっても、本人にとっても本当にもったいないことだと思っていたものです。

3.カウンセリングへ
SQAとして決められたプロセス・手順を要請したり監視するだけでなく、開発メンバーの悩みを聞き、コーチングや励ます必要性を感じ始めたときに出会ったのがキャリアカウンセリングの資格であるCDA(キャリア・ディベロップメント・アドバイザー)でした。
クライエント(この場合は開発プロジェクトリーダやメンバー)の抱える問題を支援する上では、物づくりのプロセスの遵守やルールと言った決められた正解があるわけではありません。
キャリアカウンセラーのテキスト(*1)には次の様に記載されています。
『クライエントにとっていかに良い問題解決や成長が導き出されるのかをしっかりと考え、CDA(この場合はSQAの私)が自分自身の態度や発言、行動がクライエントに対していかに有用であるかを考えることが重要となります。』
2010年度 関西P2M研究部会の第1分科会の活動テーマとして
 「リーダの言葉を読み解く ~チームを鼓舞する珠玉の一言~」をとりあげたのもそのような思いが背景にありました。この場合はリーダがメンバーを励ますことをテーマとしていますが、SQAがリーダを励ます場合にも共通のことが言えると思います。


(2010年度 関西P2M研究部会の第1分科会 報告資料より抜粋)

リーダの抱える悩みに共感し、励まし、問題解決の為にはキャリアカウンセリングの支援スキルというう物が大切であることを身をもって実感したしだいです。
支援スキルの基本的姿勢は「傾聴」です。プロジェクトリーダと話すなかで、信頼関係(ラポール)を築き、課題を共有するには、彼らが表現する言語および、非言語の「感情」と「内容」をよく聴くことが大前提となります。
「聴く」という字は「耳+目+心」から成り立っています。相手の発するメッセージの「声」を「耳」で聞き、相手の「表情」を「目」で見て、相手の「感情」を「心」で受け止めることが「傾聴」ではないかと思います。

4.さいごに・・・・「人を残すは上」
本原稿を記している9月は防災月間の月です。1923年(大正12年)の9月1日に関東大震災が発生しました。その後、焦土と化した首都東京を蘇らせたのは、帝都復興院総裁の後藤新平です。
『後藤の先見は都市計画だけではなく、未来への道を開くために最も必要なのは「人材」との信念を貫いたことです。少年団(ボーイスカウト)総長も務め、晩年こう語ったという。「金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」』(*2)
この9月末で長年務めた会社を円満に早期定年退職するわが身としても、「人を残すは上」を心がけ、少しでもお役に立てる様、次のステップへ進みたいと思っている次第です。

以上

参考資料
*1: 日本マンパワー キャリアカウンセラー養成講座 テキスト2
*2: 9月1日付け 聖教新聞 「名字の言」より

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