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「ダイバーシティ時代のプロジェクトマネジメント」
~異文化を理解する力~

井上 多恵子 [プロフィール] :10月号

 異文化を理解するには、ある一定期間、その国で暮らすことにまさるものは無い。そのことを改めて体感できた貴重な経験をしたので、記憶がホットなうちに、読者の皆様と共有したい。昨晩、三週間近くにわたるインドでの滞在を終えて、帰国した。所属している会社の人材育成担当として、インドの著名な経営大学院と組んで実施した研修に、事務局として参加したのだ。大学院の寮に研修生と共に寝泊りした日々は、濃密な体験と発見の連続だった。
 インドに行く前にも、インドに関する書籍を読み、インドに行ったことがある人々の話も聞いた。頭で理解するのと、肌感覚で理解するのとは違う。今回一番印象に残ったのは、決して豊かではない家庭の子供たちの笑顔だった。カメラを向けると、一斉に手を振ってくれた。とびっきりの笑顔と共に。そして言ってくれた。”See you tomorrow. Tata.” (明日会いましょう。ばいばい。)彼らにとっては、日本人を見るのは初めてだったかもしれない。そんな見知らぬ相手に対し、笑顔で接してくれた。予定を変えてでも、翌日子供たちにまた会いに行きたい、そう一瞬思ったほど、魅力的な笑顔だった。貧しくても、家族の愛に囲まれているからだろうか。家族を、そして、両親をとても大事にしているインド人の子供たちだからこそ、見知らぬ大人に対しても、丁寧に接するのだろうか。それに対し、日本はどうだろう。今日家の近所でお祭りがあり、少し街を散策した。今まで気にならなかった、何人かの子供たちの無表情さ、そして、自分中心の行動が気になった。充たされた生活をおくり、甘やかされて育ってきた子供たちもいるのだろう。

 「家族は大事」、その言葉を何人ものインド人から聞いた。実際、家庭訪問をさせていただいたお宅では、義理のお母さんと自分のお母さんが一緒に暮らしていた。二人とも80歳を過ぎてなお、元気に絵を描いたり、洋裁をしたりしていた。そして、「家族と暮らせて楽しい」と言っていた。そのアパートには、お姉さん家族、お兄さん家族をはじめ、数家族の親戚が暮らしていた。皆が近くに暮らすことができれば、寂しい思いをすることもなく、楽しいだろう。
 教育に対しても真剣に取り組む人々に、数多く出会った。貧しい人でも、また、階級が高くない人でも、教育を受けることにより、より豊かな生活を得ることができる。だから、両親は子供にいい教育を受けさせようとする。必ずしも高いとは言えない年収から、教育費を必死にねん出している人にも出会った。学生も、熱心に勉強するという。実際、今回の研修にはインド人の方も数名参加していたが、彼らの情報処理能力は極めて高かった。大学時代を遊んで暮らした自分が、恥ずかしくなった。研修に参加した日本人にとってもいい刺激になったようだ。
 私は事務局という立場だったので、インド人の教授や事務局の方々等と接することが人一倍多かった。その中で、インド人特有の口癖も今回学ぶことができた。何かを依頼したりすると、”two minutes”と言われることが多い。最初はその言葉を真に受けて、「2分したらやってくれるのだろう」と思っていたが、2分たっても何かがなされる気配が無い。最終的には依頼したことをやってくれるのだが、結構時間がかかる。一緒にいたインド人に聞いたら、「5分から10分の意味だ」と教えてくれた。「なぜtwo minutesなのか」という問いに対しては、「言いやすいから」という答えが返ってきた。こういう言葉の意味を知らないと、誤解が生じかねない。
 異文化コミュニケーションで非言語についていつも触れているが、インド人の首の振り方は特徴的だ。首を横に振ることが多い。これは、「同意している」際にも使われるしぐさなので、日本人にとってはわかりにくい。私も7月に初めて見た時には本当にびっくりした。さすがに三週間もいると慣れてきて、しまいには、自分も首を同じように振りそうになっていた。
 荷物を運んだり、車を運転したり、コピーを取ってくれる仕事をしてくれる人たちには、はっきり指示をしないといけないことも学んだ。帰国日に、荷物を部屋からバスの前まで運んでくれたのはいいが、「バスに乗せてくれ」と指示をしないと何もやってくれない。駐在員に指摘を受けて見ると、バスを囲んで10人弱のボーイさんが突っ立っている。こちらから言うと、話をしながら楽しそうにバスに乗せ始めた。その日はレストランに寄ってから空港に行くことになっていたのだが、いざ出発、という時になって「アドレス?」と聞かれたのにはびっくり。運転手なのに、どこに行くのかを知らない?その前に駐在員が彼と話をした際、「どの通りに行くのか知っているか」と聞き「はい」と答えたのに対し、「どの通りか?」と確認していたが、体験から学んだ防衛策なのだろう。
 次回異文化コミュニケーションについて講義をする際に、今回発見したさまざまなことを共有できるのを楽しみにしている。

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