PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(48) 「アサインの責任」

高根 宏士:3月号

 安部内閣の支持率は急降下している。自民党総裁選前の人気がありすぎたのが現実との落差を招いているのかもしれない。期待されすぎたからであろう。そして人心はせっかちであるから、期待すればするほど、短期間にアウトプットか、何か目立つことをしないと離れていく。小泉のように当選自体に意外性があり、本人の言動も意外性を持っていると「意外とやるじゃない」となって人気は反って上がるようになるが、安部は本命過ぎた。そしてまとも過ぎて、周囲を巻き込んでいく迫力や振り返させるような魅力が乏しい。
 しかし最近の急降下はそれ以外に閣僚のチョンボの連続が大きな要因である。弛んでいるとしか見えない。閣僚に役割を遂行する責任感に裏付けられた緊張感がない。閣僚になったことは重要な責任を担うことだという認識がなく、勲章をもらった程度の浮ついた気持しかなかったのであろう。その中で極め付きは柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」という発言である。この発言を取り上げ、民主党や社民党は国会審議拒否を含め攻勢を強めた。しかし野党も切れ味は今ひとつパッとしない。内容はお互いのチョンボの指摘し合い、足の引っ張り合いで、低調そのものである。国や国民のための施策の審議はほとんどなく、閣僚や議員同志のつまらない言動に対する非難の応酬である。こんなものに税金を使っているのは一番の無駄ではないだろうか。
 野党が指摘するまでもなく、柳沢の発言は最悪である。センスがないどころではなく、厚生労働という最も人間と対する部署の長の見識がない。「機械」という単語には、ある機能についてはきちんと果たすが、それ以外は何もできないという意味がある。また「機械的」という言葉には、一面的で、環境に対する微妙なセンスや柔軟性を持ち合わせていないという側面がある。「産む機械」とはそれ以外のことは何もできないことを意味する。そのような意味で男性を取り上げれば、男性は精子を撒き散らして、女性に種付けをする機械となる。人間がこのようなものだとしたら、人間「社会」はなくなる。文明や文化が発生したり、発展したりすることはない。そこには爬虫類以下の単に生命を繋ぐDNAの運搬人の役しかない。
 ここで安部は柳沢を庇って温存の方針を出した。野党からは任命責任を追及されている。柳沢は辞任もせず、大臣の椅子にしがみついている。安部が任命責任を取るには必ずしも本人を辞任させてお茶を濁すことだけが全てではないであろう。それではトカゲの尻尾切りになりかねない。柳沢と一体となり、とにかく厚生労働行政において納得のできるアウトプットを出すか、できなければ自分自身も辞任することである。しかし柳沢は自分の発言で内閣支持率を10%近く下がることを予測し、慰留されても潔く辞任すべきであった。ただあのような発言をするようなレベルでは辞任も思いつかないかもしれない。自分の出処進退さえわからないのであろう。
 安部の任命責任と同じようなことはプロジェクトマネジメントの世界(特にIT)では日常茶飯事である。母体部門の長がある部下をプロジェクトマネジャーに任命し、そのプロジェクトがうまくいかなかった場合、プロジェクトがうまくいかないのは第一にプロジェクトマネジャーの責任である。したがってプロジェクトマネジャーが関係するステークホルダーから非難されたり、責任追及されるのは仕方がない。ところが母体部門長が他の関係者と同じようにプロジェクトマネジャーを非難している例がよく見られるが、これは的外れである。母体部門長が先ず認識しなければならないことは自分自身がその人間をプロジェクトマネジャーに任命したことである。不適当な人材を任命し、そのまま放置したことがプロジェクト崩れの最大の要因だということを認識しなければならない。それを忘れて自分も被害者の如く思っている母体部門長が如何に多いことか。このような母体部門長の組織ではプロジェクト崩れは常に発生する。そして本人は部下が駄目で自分は運が悪いと思っている。
 プロジェクトマネジャーが力不足とか、ある弱点があっても母体部門長が自分の役割をしっかりと認識し、傘下のプロジェクトに目を光らせていれば、プロジェクト崩れは1/3以下にできる。言い換えればプロジェクト崩れの2/3は母体部門長の問題である。
 IT業界は転職が多い。企業の退職率は10%を超えているであろう。転職の大きな要因は上長に対する不信、不満である。ただし直接上長が悪いだけで退職することはそれほど多くはなく、その上の上司まで期待が持てなくなったとき退職率は数倍になる。多くはこれまでに述べた母体部門長の層である。
 長い目で見た場合、この層が自覚と前向きの姿勢と人間に対する謙虚さを持っている組織は必ず発展するであろう。そうでない組織には母体部門長のレベルの独善的な被害者意識と部下の面従腹背的な不満の流れが共存し、各個人に陰湿なストレスを与えているであろう。

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