投稿コーナー
先号   次号

異なる考え方を受け入れる力

井上 多恵子 [プロフィール] :8月号

 2023年以降、私の主な仕事は「教えること」になっている。グローバルコミュニケーションのクラスでは、「こういう言い方がいいです」「こう伝えると相手に届きます」と、私から発信する場面が多い。その積み重ねが、もしかしたら少し悪さをしているのかもしれない──そう気づかされる出来事が先日あった。
 一定の英語力はあるものの、よりうまく交渉を進めるためには英語を学んだほうがいい。周囲もそう思っているし、ご本人もそう感じている方がいる。私自身、その方には色々とお世話になっていることもあり、「謝金はいらないので、サポートさせてもらいたい」という趣旨のメールを送った。しかし、その後、彼からの返事はなかった。リマインダーを何度か送り、共通の知人にも確認してもらい、ようやく返事が来た時、私はハッとした。 自分では「絶対に相手のためになる」と確信していたことでも、相手にとっては「押し付け」であり、「迷惑」でしかないことがあるのだ。
 夫に対しても同じだ。「英語なら私が教えてあげるよ。私、教えるの上手だから」と何度も言ってきた。でも、彼にとってはそれが心地よい環境ではないのだろう。いくら言っても、彼はそこに進もうとはしない。
 そんな時、父の言葉を思い出す。「去る者は追わない。来る者にはサポートをする。」 父は長い人生の中で、そういうことを学んだのだろう。学生時代、家でだらだらしていると「勉強しておくといいよ」と言われたが、当時の私は全く受け付けなかった。「余計なお世話」と思っていた。もしかしたら今の私は、あの頃の私と同じように思われているのかもしれない。
 コミュニケーション研修では、「相手の目線に立つことの大切さ」「相手の行動の裏にある事実や解釈に対する想像力の大切さ」を何度も伝えている。でも、自分のことになると、それが難しい。ましてや「先生」という役割を担い、私が教え、みんなが聞き、喜んでくれる日々を送っている今。その心地よさの中で、いつの間にか、「自分の言っていることが正しい」と思い込んでいたのかもしれない。
 コーチとして有名なマイケル・バンゲイ・スタニエは「Stay curious(好奇心を持ち続けよう)」という言葉を大切にしている。私もそのはずなのに、コーチング以外の場面では、自分の思い込みで相手の思考を想像してしまう。「私ならこうするのに。どうしてあの人はそうしないんだろう。」 「Should=~すべき」という考え方。「こういう場面だったら、当然こうすべきだよね。」という思考。「メールを受け取ったら返事をすべきだよね。」「食事に誘うと言ったら、有言実行で誘うべきだよね。」などなど。でも、この思考は、好奇心からは遠い。相手がどんな環境で育ち、どんな経験をし、どんな常識を正として育ち、どんな価値観を持っているのか──それらは私とは違うのだ。私の行動に対しても、周りの人達は思っていることだろう。「なんで、彼女はあんな行動をするのだろう。」と。
 自分が「これは絶対にいい」と思っても、それを押し付けないこと。その意味で、コーチングという手法は改めて素晴らしい。答えを与えるのではなく、質問を投げかけることで、相手が自ら考え、決めていく。そのプロセスがあるからだ。私自身も、これまで多くのアドバイスを受けてきた。意味が分からなかったことが、何年か経ってから腑に落ちることもある。そしてその時になって初めて「やってみたい」と思うこともある。だからこそ、相手の答えを急がせないことも大切なのだろう。
 異なる考え方を受け入れるとは、自分の考えを捨てることではない。自分が思う「正しさ」をいったん脇に置き、相手には相手の考え方があると認めることだ。
 明日からは、もう少し押し付けないようにしたい。コーチとして明確な役割を持って相手と接していない時でも、「なぜこの人は私と違う行動をするのだろう」と考える前に、「この人はなぜそう考えるのだろう」と好奇心を持ちたい。相手にとって大切だと思うことなら、一度はオファーする。日本人的な遠慮の可能性もあるから、もう一度だけ伝える。それでも反応がなかったり、「もう結構です」と言われたりしたら、潔く引き下がる。但し、扉を閉じるのではなく、「もし将来、気持ちが変わったら、いつでも連絡してください。私のドアはいつでも開いていますよ」という姿勢でいたい。
 自分とは異なる考え方を受け入れる力。それは相手を理解するためだけでなく、自分自身の世界を広げるための力でもあるのだと思う。

ページトップに戻る