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伝わる力

井上 多恵子 [プロフィール] :4月号

  日々、英語コーチングやコミュニケーションの指導をしていると、「伝えたつもり」と「伝わっていたこと」の間に、驚くほど大きな差が生まれる瞬間に出会う。文化や背景、関係性、思い込み――それらが複雑に絡み合い、同じ言語を話していても誤解が生まれることがある。だからこそ私は、「伝わるとは何か」をずっと考え続けている。そんな中で出会った気づきや学びを、ここにまとめてみたい。

1.アメリカは「ローコンテキスト文化」
コミュニケーション論では、日本は共有している背景情報、いわゆるコンテキストが多いハイコンテキスト文化、アメリカは共有している背景情報が少ないローコンテキスト文化と語られる。共有情報が多い日本では、言葉にしなくても察してもらえる。一方、共有情報が少ないアメリカでは、必要なことを明確に言語化しなければ伝わらない。だから日本人が英語で話すときには、情報を補いながらクリアに伝えることが大切だと、私は長く伝えてきた。

2.アメリカでも起きる「情報不足」という落とし穴
そんな中、先日聞いたアメリカのポッドキャストで、ハーバード大学の教授が語っていた内容が印象に残った。彼女は「TMI:Too much information(情報過多)」と「TLI : Too little information(情報不足)」という概念を紹介し、アメリカ人のコミュニケーションでも、実はTLI――つまり必要な情報が足りないことが多いと指摘していたのだ。特に親しい関係になるほど、「言わなくても、自分の考えていることや気持ちは分かるはず」という思い込みや期待が生まれ、必要な共有が抜け落ち、関係性にひずみが生じるという。
それを避けるためには、例えば、自分が不機嫌な気持ちでいる際に、「あなたに怒っているのではなく、今日は少し気分が落ちているだけ」と一言添えるだけで、無用な誤解は避けられるとアドバイスしていた。ローコンテキスト文化のアメリカ人でさえ情報不足が課題になるのなら、ハイコンテキスト文化の日本人は、なおさら意識的に伝える努力が必要なのだろう。

3.ミスコミュニケーションは「共有されていない前提」から生まれる
実際、ミスコミュニケーションの多くは「共有されていない前提」から生まれる。先日も、ある人が「忙しいときは助けてくれると思っていたのに、相手が動かなかった」と不満を漏らしていた。だが、最初に「あなたにはこれを期待しています」と伝えていれば、摩擦は生まれなかったはずだ。期待は、言葉にして初めて共有される。

4.細部にこだわりすぎる日本人の“落とし穴”
英語学習でも同じことが起きる。細かな表現の違いにこだわりすぎて、話すこと自体をためらう人がいる。たとえば「映画を見る」は watch か see か、と悩むケースだ。イギリス人に聞いてみると「そんなに意識して使い分けていない」と笑われた。日本人は細部を気にしすぎて、本来伝えるべき内容が後回しになってしまうことがある。
だが、考えてみてほしい。たとえば、日本語の「てにをは」の使い分け。日本語を母国語として使っている人たちは、小さい頃から大量の表現に接してきた中で、無意識に適切な使いかたを身につけている。複雑な「てにをは」の使い分けを説明しようとすると、膨大な説明が必要になる。日本語を学ぶ外国人にとってはハードルが高くなる。だから、第二言語で完璧を求めるのは現実的ではない。大切なのは、相手が理解するために必要な情報が届いているかどうか。その本質を見失わないことだ。

5.「相手は何を知っているか」を起点に考える
私自身も、相手が知っているだろうと決めつけて名前だけを伝え、相手に確認の手間をかけてしまったことがある。忙しさを理由に省略した情報は、結局相手の負担となって返ってくる。伝わるためには、必要な情報を丁寧に届ける姿勢が欠かせない。
英語でのコミュニケーションでも、多様な人と関わる場面でも、まず考えるべきは「相手は何を知っていて、何を知らないのか」。6W1Hで整理してみるだけでも、伝わり方は大きく変わる。文法の細部は、その後でいい。伝えるべき本質を外さないこと。それこそが、これからの時代に求められる“伝わる力”だ。

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