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「エンタテイメント論」(212)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :1月号

エンタテイメント論


第 3 部 エンタテイメント論の応用

1 序
●体得と心得について
 前号の最後にエンタテイメント論を「体得」し、「心得」し、「実践」し、事業経営の極意を獲得し、事業に失敗せず、成功のチャンスを掴んで欲しいと記した。此の「体得」と「心得」とは、そもそも何の事なのか? 実践するには具体的にどうすれば体得や心得できるのか? などを解説しなかった。本号で解説したい。

●体得(たいとく)とは?
 「体得(たいとく)」とは何の事なのか? 殆どの人は「世の常識」として知っている。従って此の解説は不要であろう。しかし以下で解説する「知得」や「心得」の意味と両者の関係等を理解する観点から敢えて解説する。

 先ず「知得(ちとく)」とは何の事なのか? 此れは、原理、法則、ノウハウ、情報等を知って記憶し、その応用や活用の効果を学ぶ事である。

 次に「体得(たいとく)」とは何の事なのか? 此れは、①知得した内容を仕事や日常生活などの現場に於ける諸活動に適用し、その効果を生み出す能力を得る為の自己鍛錬を始める。②しかし何度も何度も失敗を重ね、思い通りにいかない。③それでも失敗にめげず、苦悩し、苦闘し、自己鍛錬を続ける。④遂に、意識的に行動せずとも、自然に頭と体が動き、その効果を生み出せる状態になる。この状態を「体得」と云う。

 体得を「抽象的(理論)」に解説するだけでなく、「具象的(実践)」に解説するとより深く理解されるだろう。此の好例が「一輪自転車運転の体得」である。殆どの大人は「二輪自転車」に乗れるが、「一輪自転車」に乗れない。しかし「或る大人」が一輪自転車運転に挑戦する場合、先ず一輪自転車の運転の原理、ノウハウ、効果などを学ぶと云う「知得」から始めるだろう。次に一輪自転車に跨ってペダルを踏み出すだろう。その瞬間、本人は100%転倒する。

出典:一輪車で転倒
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 しかし本人は転倒しても再挑戦し、転倒の都度、痛い思いをする。怪我もする。最悪の場合、足や腰を骨折し、病院に運ばれる。挑戦した大人は、痛い目に遭った度合いに比例して一輪車運転への挑戦を諦める。しかし或る人物は挫けず、転倒しても挑戦を続ける。そして或る日、或る時、或る瞬間、乗れる様になる。此の瞬間、本人の「知得」は「体得」に転換する。

 本人は一輪車に乗って楽しみ出す。家族達から「お父さん、凄い!」と称賛される。友人や知人からも「やるじゃない!」と褒められ、尊敬される。本人は、嬉しい楽しい気分になると同時に何事も「知得」では限界がある事、「体得」しないと物事は始まらない事を強く認識する様になる。

●心得(こころえ)とは?
 殆どの人は、「心得」の漢字を「こころえ」と発音し、「心構え」「理解」「注意事項」などを意味する事を「世の常識」として知っている。従って此の解説も不要であろう。しかし以下で解説する「心得(しんとく)」や「信得(しんとく)」の意味や両者の関係等を理解する観点から敢えて解説する。

 「心得(こころえ)」とは何の事なのか? 此れは、①物事の道理を「理解」している事、②理解しただけでなく、身に付けた「行動指針」や「心構え」になっている事、③武道、茶道などの分野だけでなく、政治、社会、経済などの分野でも用いられる「マナー(礼儀作法)」を意味する事、④色々な物事を実行する際の「注意事項」も意味する事などである。

 さて「心得(こころえ)」は、日本の歴史でいつから出現したか? 興味があったので調べた。

日本の歴史
日本の歴史
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 古代では、「心得(こころえ)」は存在しなかった様だ。その後、文明や文化の誕生と共に「心得(こころえ)」が出現。中世~近世~近代~現代への歴史の過程でその意味が変化し続けた。

 平安時代では、「心得(こころう)」と発音され、文学語として和歌や説話集などで「心構え」の意味でその存在が確認されている。

 室町時代では、武家教訓書「風姿花伝」などで「初心の心得」として物事を極める際の心構えが説かれた。特に武家社会に於ける徳目(徳の細目=仁・義・礼・智・信など)と結び付いた。

 戦国時代では、「軍陣の心得」として軍記物語で数多く引用され、勝敗を左右する戦術知識&ノウハウとして存在した。

 江戸時代では、商家や旅籠の家訓としての「心得帳」として存在。庶民の行動規範を文字で共有する文化が発展した。この「帳面文化」が現代の各種のマニュアル、例えばIT分野の「セキュリティ心得」を生み出した源と云う歴史学者がいる。江戸時代の中期以降では、寺子屋で「往来の心得」が子どもの学習規範となり、庶民の識字率向上と相まって普及した。

 明治時代では、西洋思想と接触し、「心得」は「モラル」「エチケット」の訳語となる一方、「軍人勅諭」や「学校教則」として登場し、国家的な規範となった。

 昭和時代では、太平洋戦争終結後、労働基準法や企業コンプライアンスなどが誕生し、「安全の心得」、「業務上の心得」など法令順守と結び付いて使用される様になった。

 現代のデジタル時代では、既述の各種マニュアルと共に、「SNS利用の心得」「リモートワークの心得」など新しい働き方への適応を促す用語として存在する様になった。

 なお「心得(こころえ)」は、如何にすれば獲得出来るのか? 一般的に推奨されている方法は、①先ず初めに心得を実践している人の実態を観察し、理解する事、②次に自分自身、同じ様に実践可能か否かを判断し、可ならば実践を始める事、③実践した自分自身の思考と行動を振り返り、今後の改善点を見付け、自己努力する事、④自己努力の過程で専門指導書の内容や専門講座受講内容などを参考にして実践を続ける事などである。

●筆者が造語した「心得(しんとく)」と同音異語の「信得(しんとく)」とは?
 さて「心得」の漢字を「こころえ」ではなく、「しんとく」と発音して何らかの事を意味する漢字は、下記の2つの事例を除き、国語辞典や漢和辞典等に存在しない。

 1つ目の事例とは、筆者が「心得」の漢字を「しんとく」と発音し、「或る事」を意味する漢字を「造語」した事である。本稿の前号の末尾に書いた「心得」とは、まさに此の「心得(しんとく)」の事である。しかし多くの人は「心得(しんとく)とは何の事だ?」と不思議がる。後ほど詳しく解説する。

出典:不思議?
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 2つ目の事例とは、筆者の造語の「心得(しんとく)」と同じ様に「しんとく」と発音し、「或る事」を意味する同音異語の漢字が存在する事である。其れは「信得(しんとく)」と云う「仏教用語」。筆者は仏教に関して門外漢である。しかし現時点で理解している「信得(しんとく)」を以下で解説する。

出典:僧侶の修行
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 さて筆者は1つ目の「心得(しんとく)」の解説を「後ほど詳しく解説する」と後にした。一方2つ目の「信得(しんとく)」の解説を「以下で解説する」と先にした。何故か?不自然に思うだろう。

 この理由は、「信得(しんとく)」の解説を先に理解した後、「心得(しんとく)」の解説を後で読むと、「両者の関係」や「心得(しんとく)」の事がより深く理解できると考えた為である。

●「信得(しんとく)」とは?
 「信得(しんとく)」とは何の事なのか? 先ず仏教の教えを「信(しん)」じて、受け入れる心の姿勢を作り、心を開く。次に其の教えを理解し、深めて、実践する。遂に実践の結果に納得し、腑に落ち、悟りの境地に辿り着く。此の境地を「信得(しんとく)」と云う。

出典:信得(しんとく)
出典:信得(しんとく)
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 信得を「抽象的(理論)」に解説するだけでなく、「具象的(実践)」に解説するとより深く理解されるだろう。その好例が僧侶の弟子や信者等への説教である。僧侶は①先ず教えを「信(しん)=正しい」と信じて、「受」け入れ、実践を開始する事、②次に「行(ぎょう)=実践」を行い、行に必要な3要素の「聞・思・修」を遵守しながら「信じて受け入れた事」を世の中の実活動に落とし込む事、聞(ぶん)とはよく聞く事、思(し)とはよく考える事、修(しゅう)とはよく実践する事を夫々意味する。③以上の実践の後、教えが実活動で「本当に正しかった」と腑に落ちたと悟った時、「得(とく)=体験的認識」を得て「信得(しんとく)」が叶ったと説教する。

 僧侶は「信得(しんとく)」に挑戦する人物に先ず「信じる事」と強く求める。何故か? これが仏教の伝統的な教え方であるからだと言われている。例えば浄土宗では①信じる、②念じる、③受け入れる事を最優先に教えている。

 しかし教えを乞う弟子や信者だけでなく、筆者を含めて一般人は、僧侶から「先ず信じ、受け入れ、次に行動を起こせ!」と説かれても、「信じられるか?」と疑う場合や「信じられない!」と否定する場合、「本心、本気、本音」で行動を起こせない。もし仮に行動を起こしても、「どうしてよいか分からない場面」や「少しの効果も感じられない場面」に遭遇すると、折角起こした行動を途中で投げ出す結果を招く。此れでは到底「信得(しんとく)」を叶える事は出来ない。

 ならば「信得」を叶える方法はあるのか? また筆者が造語した「心得(しんとく)」とは何の事なのか? 次号で論じる事にしたい。

出典:心得(しんとく)
出典:心得(しんとく)
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つづく

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