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AIとリベラルアーツ

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :11月号

 リベラルアーツに関して触れる機会が2度あった。一つは、本年9月にPMAJより出版した「研究開発を成功に導くプログラムマネジメント」(近代科学社)の著者の一人である東京工業大学の調麻佐志教授(科学技術社会論)と、同大学に今年4月に着任された國分功一郎教授(哲学)、俳人の大塚凱氏の3氏をパネラーに、同大学池上彰特命教授が司会したシンポジウムであった。テーマは、「AIとヒューマニティ」であり、AIと人間性との関わりを議論する。主催は、同大学リベラルアーツ研究教育院だ。さかのぼること半世紀以上前より、永井道雄(教育社会学者)、KJ法の始祖である川喜田二郎(社会人類学者)、宮城音弥(心理学者)、江藤淳(文学者)などの文化人が教えていた。ヒトとしての幅広い教養を身に付けるという方針で、学部1~2年次の必須科目であったという伝統がある。三島良直前学長の指導下での最近の大学改革の一環で、リベラルアーツ研究教育院(上田紀行院長)が2016年に創設された。その学院が主催するリベラルアーツに関するシンポジウムであった。

 もう一つは、週刊間ダイアモンドの特集記事「AI時代を生き抜く~プログラミング & リベラルアーツ」(2018年5月12日付け)だ。出版記念特別セミナーがあり、今回このリベラルアーツを担当されたのは、東京工業大学名誉教授・社会学者の橋爪大三郎氏である。先の見えない世界で生き残るには自分で思考することが重要であるが、リベラルアーツはその先の指針を与えてくれるという。今回の橋爪氏の講演タイトルは、「宗教で読み解く世界~文明としての米中関係」で講演された。(1)世界は四大文明でできている、(2)アメリカはどういう文明か、(3)中国はどういう文明か、(4)文明としての米中関係、と文脈を4つに分けられていた。これらの基本的な知識(教養)を基盤にして、自分で時代を読む力を養うというものだ。

 討論会や講義のいずれのテーマも、すぐに明日から役に立つという内容ではない。当然、知らなくても生きて行ける。ただ、知っていれば、また、常々深く考えていれば、必ず生き方にプラスの影響を与え、豊かな発想に結び付くであろう。「AIで代替できない教養、リベラルアーツ」とのタイトル(ダイアモンド社同特集第2部)どおりであり、「AI時代を生き抜くためには、AIを使いこなす教養としてのプログラミングだけでなく、AIでは代替できない教養も身に付ける必要がある。それがリベラルアーツだ」との説明が付記されている。

 同誌では「従来のリベラルアーツの分野」は「宗教、哲学、歴史、文学、言語学、法学、音楽・絵画」としている。一つ目のシンポジウム「AIとヒューマニティ」では、哲学、歴史、文学、言語学といわれる範疇の話であった。また、二つ目の橋爪氏の講演「宗教で読み解く世界」では、宗教、哲学、歴史を基本にして文明と政治の話題であった。続けて、同誌ではリベラルアーツを分析し、「Liberal(自由)+Arts(技術)」であるとし、「知識」でなく「技」であると強調している。「『人間を自由にする技』のこと:ギリシャ・ローマ時代の『自由七科』(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持つ」としている。

 リベラルアーツ研究教育院の上田紀行院長は、かつて訪問した米国MITで、教養教育を重視している逸話として「MITの学部では、最先端の科学(技術)なんてほとんど教えない。最先端といわれているものは、4~5年で陳腐化してしまうから。それよりも、自ら何かを創り出すための基礎能力の方が大事だ」といわれ“衝撃を受ける”。お隣のハーバード大学でも、学部はリベラルアーツ教育が中心だともある。

 「AIは自ら創造的な問いを立てることはできない」。しかし、有効なツールであることは間違いない。ヒトが自ら考え、自らにも、AIにも問いかけて回答をえて、選択肢があれば自らの意志で選択する。この繰り返しにより、より良いと思われる目標を見定め、アクションに繋げる。それがヒトである。ヒトは自由に考えようと思っても、自らを縛る制約を意識できないと発想が縛られてしまう。AIによる支援を上手く使いこなし、より制約のない広く深い発想をすることにより、新たなイノベーションに繋げなくてはならない。

 近い将来は、AI支援のもと、プロジェクトの遂行も含めたヒトの行動が、より多くの選択肢の中から解答を選ぶことにより、目的、目標を達成してゆくことになるだろう。さらに、選ぶという行為が、リベラルアーツを通した豊かな教養に基づけば、より“正しい”行動がとれるといえる。

以 上

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