今月のひとこと
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プロセスとしての絵画

オンライン編集長 岩下 幸功 [プロフィール] :1月号

新年おめでとうございます
旧年中は大変お世話になりました
今年もよろしくお願い申し上げます

老欅-五百歳
 趣味で絵を描いています。
油絵であったり、水彩であったりする訳ですが、最近は水彩画が多くなりました。ガッシュという不透明絵具がありますが、これですと油絵の如く重ね塗りが利きます。つまり水彩画の手軽さで油絵のような効果を出せることから重宝している次第です。
若い頃から絵は好きでしたが、本格的に描き始めたのは40代半ばからです。週末は仲間の方々と色んなモチーフに挑戦、刺激し合いながら楽しんでいます。又、年に1〜2回は合展を開き、折々の作品を発表しています。
この作品「老欅-五百歳」は、昨年秋「第35回新芸術展」に出品したものです。

 「絵には己が出る!」と言われますが、最近その意味するところが実感として迫ってくる気がします。描いては消し、消しては描き、と重ね塗りを繰り返していますと、いつの間にか、描く対象と格闘するのではなく、描いている自分自身と格闘している自分という状態になります。そこでは時間の感覚も無く、周りの音も遮断され、一種無我の境地という集中状態に陥ります。私は本を読んでいる時は、周りの音が気になりますが、絵を描いているときは全く気になりません。恐らくは集中度の違いなのでしょう。
自分に忠実に描くという、すごく楽な方法のように思えるものが、その通りにできません。それは忠実たるべく対象の自分自身(アイデンティティ)が、未だ掴めていないからなのかも知れません。絵を描くとは、自問自答しながら、自分にまとった虚飾を一枚一枚、玉葱の皮をむくように、剥がしながら自分自身に至るプロセスのように思います。自分自身の持っている誤魔化しと対峙し、自己否定しながら、これを破壊することは苦痛を伴いますが、それを剥がして新たな自分を発見するところには別の恍惚感があります。これが絵に表れますから、一切の妥協を許さないエンドレスのプロセスになる訳です。
真の自分自身に触れたという確たる自信は未だありません。しかし一歩一歩その方向で近づいているという微かな手応えのようなものはあります。その意味で、折々の作品というのはこのプロセスに於ける道程標のような存在で、永遠に完成には至らないものだということになります。ある種の宗教的体験に近いのかも知れません。

 マティスは「過程(Process)にある絵画」という言い方で、非常に制作プロセスに注目した画家です。そこでは「製作のプロセスとは、意味生成のダイナミックな運動であると同時に、それに関わる主体の生成と崩壊の葛藤の場にほかならない」と看破しています。私はこの言葉に大変驚くと同時に、それが「守破離」に通ずるという大いなる共感と勇気を覚えました。 プロセスを主体に描くという意味では、幾分かはマティスに近づける可能性があるのではないか、と不遜な想いを抱きながらキャンバスに向かう次第です。

それぞれの分野で
夢のある新しい絵(プログラム)が
描かれる年となるよう期待しています
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