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PMRコーナー
「プログラムマネジメント実践の難しさ」

(株)日立製作所 吉川 和宏:2月号

はじめに
吉川 和宏  はじめまして。第1回のPMR試験で資格取得をいたしました吉川と申します。主に原子力発電プラントの建設プロジェクトに携わっています。皆さんは、PMR受験にあたってどんな勉強をされましたでしょうか?PMR試験では、様々な分野のプロジェクトが題材として用いられます。まだまだ経験の少ない私の場合、なじみの薄い分野のプロジェクトの実例を調べて、その専門用語やプロジェクトとしての課題をざっと見ることを繰り返しました。今回は、当時私が調べた中で一番身近な例だった日立駅前再開発プロジェクトについて紹介しようと思います。P2M的に面白い事例です。

日立駅前再開発プロジェクト
 JR日立駅に来られた方は、レトロな駅舎の正面に展示された原子力用蒸気タービンの実物大モデル(弊社から寄贈したものです(笑))にまず目を奪われますが、その次に駅前隣接エリアが意外と近代的な広場になっていることに驚かれます。これは1991年に竣工した駅前再開発プロジェクトによるものです。この7.5haの広大なエリアには、かつて日立鉱業(株)日立鉱山(現在は閉山)の鉱物積出しヤードがありました。その跡地を含む12.5haの区域の都市基盤施設整備を伴うプロジェクトとして、15年以上を費やして進められたのが日立駅前再開発プロジェクトです。76年に日立駅前再開発調査委員会が発足し、85年に都市計画を決定、その後地区整備に取り掛かり、事業者公募や87年の設計コンペを経て、91年に民間商業施設の完成をみて盛大に街開きが行われたといいます。

プロジェクトとしての特徴
 完成した駅前再開発エリアの特徴は、その強いデザイン表現です。「都市デザインマスタープラン」をまず設定し、その後さまざまな主体によって事業化されていく施設整備を、このマスタープランにしたがう形で展開させたことにより、異なる事業体が整備した新都市広場、シビックセンター(文化センター)、大型商業店舗とショッピングモール、ホテル、オフィスビルが、調和した空間構造を構築することに成功しています。これは複数主体による地区規模での都市デザインの例として多く紹介されています。

このプロジェクトは成功なのか?
 本プロジェクトは、完了して15年経過しています。駅前再開発エリアは今も、人口20万人を割っている地方都市にしては、十分な賑わいを見せています。私もこのエリアに行かない週はありません。駅前再開発プロジェクトは、設備の完成だけでなく、その後のこのエリアの活性化という観点でも成功しています。しかし、日立市民はこのプロジェクトに対して冷ややかに見ている部分があります。というのは、隣接する旧来の商業エリアが急速に地盤沈下していったからです。

プログラムマネジメントの難しさ
 2001年に日立市が策定した「日立市中心市街地活性化基本計画」によると、駅前再開発によって旧来の商店街の歩行者数が1/3以下に減少し、店舗数も6年間で2/3にまで減少したことが統計データで示されています。つい先日も、ここで最後まで頑張っていた茨城県北部唯一の映画館が閉館した、という報道が新聞の地方版に載っていました。つまり、駅前再開発プロジェクトの部分だけを見れば大成功だったプロジェクトも、日立市の中心商店街活性化という観点では、問題点が多く残ったものなのです。
 当時、駅前再開発プロジェクトをどのような位置づけで行ったのか、今となっては記録があまり残っていません。中心街全体の活性化をミッションとしたプログラムのモジュラープロジェクトとして位置づけ、関連プロジェクトにも着手すべきだったのではないか?そんなことも考えてしまいますが、苦しい地方財政の中ではこれが精一杯だったのかもしれません。プログラムマネジメント実行の難しさを感じることのできる身近な実例でした。皆さんも是非、身近なプロジェクトをP2M的に見ることを試してみて下さい。

[略歴]  
1969年 静岡県静岡市生まれ
1994年 (株)日立製作所 入社
 以来、原子力発電プラントの設計業務に従事
2003年 PMS取得
2005年 PMR取得
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