「PMAJ活動に関して最近思うこと−20年の節目−」
富士通株式会社 萩原 幸人:2月号

 私は、1970年の入社以来、約38年の年月を今の会社でSEとして過ごしてきました。ここ4年ほどは、大田区蒲田にある自社事務所でSIプロジェクトの監査を行い、直近はプロマネ育成の仕事に携わっています。
 会社生活の約半分の累計20年は、地方のお客様先でSEとして数年単位でお客様を変えて作業をさせていただきました。私自身良くあちこち転々として、大きな不満も言わずやってこられたなと思うことがあります。もっとも、私以上に、作業場所を転々とし、東京本社に入社したつもりが、本社に席を持たず地方に殆ど席を置く後輩達がいるのも確かで、これまたよく頑張っているなと思います。

 何でこんなに、頑張ってこられたのかを考えてみると、私自身、やはりSEの仕事が好きだからなのだと思います。お客様と一緒に新しいシステムを作って、その喜びを共に感じ、さらに又新しいものに挑戦する。この気持ちを持ち続けてやってきたことで、今までやってこられたのだと思います。もっとも、30数年前は、今のように売上だ、損益だと周りから厳しいことを言われず、自分達の思うようにやれたことが、大きな要因ではあると思います。
 ただ、考えてみれば、上司達はそういったことを意識して、私たち若手を育成してくれていたのだと思います。振り返って、自分自身は、幹部になって当時の上司たちのように部下を育成していただろうか、と考えてみるとそうではなかったなと反省しきりです。その反省の基に、ここ数年は、意識して後輩たちの、育成に少しでも力になればという思いで、今の仕事をしています。その意味では、私の今の職場は、そういった仕事ができる環境であり、反省を活かす職場に継続して関与していることも幸いしています。

 幸いといえば、入社してすぐにSEになれたということも、幸いしたといえます。学生時代に、コンピュータのエンジニアとして、自分なりの考えを取り入れて、システムを構築したいという思いで入社試験を受けましたが、入社した同じ高専卒の40名のうち、希望が叶ったのは、たった3名でした。また、その3名のうち、2名も数年で退職し、同期では私一人となっていました。入社してからの配属先、先輩・上司に恵まれた環境、担当した顧客で継続して付き合いたくないという顧客がいなかったことなど、幸いなことが多々連続していたような気がします。仕事以外の私生活では、そうそううまく行くことばかりではありませんでしたが、正直、会社生活では、運に恵まれたなとの思いが強いです。(なんか、自分の名前「幸人ゆきひと」に無理やりこじつけた感があり申し訳ありません。)
 同年代および若い年代の人達でこういった気持ちで仕事をされている人は、どのくらいいるのでしょうか。たとえ自分には、運がなかった、恵まれていなかったと思った人も、まだまだ新たなチャンスはあるのではないでしょうか。

 私がPMAJ活動に参加した経緯は、会社からの勧めですが、個人としても今までの反省をふくめて、まだまだ反省しきりです。しかし、参加している他の人達は非常に元気です。正直なところ私と同年代の人が多いと思いますが、なんで、こんなに社外活動に元気よくやれるんだろうかと思うことがあります。
 一緒に活動している人には、自分の経験を活かして独立された人もいます。その人たちは、年齢からくる会社生活の制限もあるでしょうが、なんとなく独立したわけではなく、明確な目的を持ち、環境を変えつつ、自分自身の向上など、強い思いを持って仕事をなされている人達が殆どです。
 私自身は企業の中でぬくぬく過ごしているといった思いも無くはないのも正直な気持ちです。あと1年と僅かで60歳になり、いやおうなく人生最終章に突入という時期が来ています。会社生活が始まるまでの20年、若手・中堅で頑張っていた約20年、売上だ、損益だ、プロマネだ、で約20年、さらにこれから人生最終章の20年を間近に迎えている今日このごろです。
 今後は、残りの20年を何年かにわけて、如何にマネジメントするかといったことも、この際やっていこうと思っています。まさにここ一年、計画を立てて最終章に臨もうと思います。
 最終章に立たれている人、これから突入される人、まだまだこれからおおいに活躍される人、まだまだ先達の教えを請う人、いろんな人が集まり、意見交換ができる場がPMAJのような場所だと思います。いろいろ意見交換したい方は、PMAJ活動の中でのお付き合いをよろしくお願いします。