PMプロの知恵コーナー
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サムライPM (027)
武道と士道の系譜 (その23)

シンクリエイト 岩下 幸功 [プロフィール] :8月号

2.武道としての武士道 (020)
⑤ 宮本武蔵 『五輪書』 (1645) (その 15)
⑤ -3. 火之巻 : (その 4)
 今号では、下記の項目について述べる。
13 : 感染させる  《うつらかすと云事》
14 : むかづかせる  《むかづかすると云事》
15 : おびやかす  《おびやかすと云事》
16 : まぶれる  《まぶるゝと云事》
17 : 角にさわる  《かどにさはると云事》
18 : うろめかす  《うろめかすと云事》

13 : 感染させる  《うつらかすと云事》
   感染させる《うつらかす》というのは、どんなことにもある。眠気などもうつり、欠伸などもうつる。多人数の戦い《大分の兵法》でも、敵が浮ついて《うはきにして》事を急ぐ心が見える時は、こちらは少しもそれにかまわず、いかにもゆったりと見せれば、敵もそれにつりこまれて、闘志がたるむものである《きざしたるむもの也》。それが伝染したと思ったとき、こちらから不意に《空の心で》、素早く強く攻撃して勝利を得ることができる。個人の戦い《一分の兵法》でも、こちらは身も心もゆったりとし、それが感染して敵のたるみの瞬間をとらえて、強く早く先手をうって勝つことが重要《専》である。また、よわする《よハする》といって、これに似たことがある。いや気がさすこと《たいくつの心》、落着きがなくなること《浮かつく心》、弱気になること《弱くなる心》などである。よくよく工夫あるべし。
【解説】
 「伝染・感染させる《うつらかす》」を利用するという作戦である。伝染するといっても病気ではなく、気の弛みが伝染する。眠気が他の人にうつり、欠伸がうつる。こうした気分の弛緩が伝染する。逆に緊張が伝染することもある。気分というものは無意識のうちに相互に影響し合っている。こうした心の現象も戦いに利用できる。こちらが弛みを見せれば、相手の気も弛む。気の弛みが感染するのである。そこで敵の弛んだところを一撃する。《空の心にして》というのは、「無心」「虚心」というより、何の兆しもみせず、不意にということである。

14 : むかづかせる  《むかづかすると云事》
   動揺させる《むかづかせる》ということは、どんなことにもある。危険な場合《きはどき心》、無理な場合《むりなる心》、予測しないことがおきた場合《思はざる心》などである。多人数の戦い《大分の兵法》でも、敵の心を動揺させることが肝心である。敵の予期しないところを、息が詰まるほど攻撃を仕懸けて、敵の心の定まらぬ内に、こちらの有利《利》なように先手を仕懸けて勝つことが大切である。個人戦《一分の兵法》でも、はじめはゆったりとしたようすで、突然強く攻撃に出て、敵の心の動揺に応じて、息を抜かずこちらの有利なままに勝を得ることが肝心である。よくよく吟味あるべし。
【解説】
 「動揺させる《むかづかせる》」を利用するという作戦である。敵の心を動揺させるのである。《むかづく》は、心が激しく動揺し、「げっ」という気分になることである。その事例として、《きはどき心》、《むりなる心》、《思はざる心》の三つを挙げる。敵の予期せぬところを不意に仕掛けて、「げっ」というほど敵を驚かせ、先手をとるのである。要するに、不意打ちの効果から先を取る利を引き出すということである。

15 : おびやかす  《おびやかすと云事》
   怯える《おびゆる》ということは、どんなことにでもある。思いもよらぬことに怯えることである。多人数の戦い《大分の兵法》でも、敵を脅かすことが肝要である。たとえば物の音で脅かす、あるいは小を急に大にして脅かす、また横から不意に出て脅かす《ふつとおびやかす》などである。その怯えた拍子をとらえて、その有利《利》で勝たねばならぬ。個人戦《一分の兵法》でも、身体によって脅かし、太刀によって脅かし、声によって脅かし、敵の予期しないことを不意に仕懸けて《ふつとしかけて》、敵が怯えたところにつけいり、そのまま勝ちを得ることが肝要である。よくよく吟味あるべし。
【解説】
 「怯える《おびゆる》」を利用するという作戦である。この脅かしも、前条の「動揺させる《むかづかせる》」と同じく、敵の予期しないことを不意に仕掛けて、怯えを生じさせるのである。

16 : まぶれる  《まぶるゝと云事》
   まざり合う《まぶるゝ》というのは、敵とこちらが接近して、互いに強く張り合って、思うようにならないときは、すぐさま敵と一つにまざり合って《まぶれあひて》、まざり合うなかで有利に勝つことが大切である。多人数の戦いでも少人数の戦いでも《大分小分の兵法》、敵と味方が分かれて向き合っていては、互いに張り合って、なかなか勝敗が決まらない。そのときは、すぐさま敵とからみ合い、敵と味方が区別できないようにして、そのなかで有利な方法《徳》をつかみ、その最中で勝うる道を見いだし、しっかりと勝つことが大切《専(せん)》である。よくよく吟味あるべし。
【解説】
 「まざり合う《まぶれる》」を利用するという作戦である。混戦状態にもち込んで勝つという方法である。この《まぶるゝ》という語は、「泥にまみれる」「塩をまぶす」と同じである。《敵とひとつににまぶれあひ》というのは、自他の区別がつかなくなるほど、混じり込んだ混戦状態である。敵我互いに強く拮抗して、膠着状態のまま決着がつかないと見れば、すぐさま混戦状態にもち込め、という教えである。

17 : 角にさわる  《かどにさはると云事》
   角にさわる《かどにさはる》というのは、どんなものでも強いものを押す場合、そのまままっすぐに押込むのは容易ではない。多人数の戦い《大分の兵法》でも、敵の人数をよく見て、つよく突出した所の角を攻めて、優位に立つことができる。突出した角がへこむにしたがって、全体も勢いがなくなる。その勢いのなくなるなかで、出ている所出ている所を攻めて、勝利を得ることが大切である。個人戦《一分の兵法》でも、敵の体の角を痛めつけて、その体勢が少しでも弱まり崩れる格好になったら、勝つことは容易である。このことをよくよく吟味して、勝ちどころをわきまえることが大切である。
【解説】
 「角にさわる《かどにさはる》」を利用するという作戦である。強力な敵を相手にする場合の攻略法である。どんな場合でも強いものを押すとなれば、真っ直ぐに押し込む正攻法では難しい。そこで「角にさわる《かどにさはる》」である。「角」(かど)は「すみ」の意味である。強力な敵に対しては、正面や中央を攻めるのではなく、角(隈)から手をつけろ、という教えである。弱き者が強い敵を倒す方法も教えたのである。前条「まざり合う《まぶれる》」と同様に、ゲリラ的戦法である。

18 : うろめかす  《うろめかすと云事》
   うろたえさせる《うろめかす》というのは、敵に確固たる心を持たせないようにするということである。多人数の戦い《大分の兵法》でも、戦いの場において、敵の意図を見抜き、こちらの兵法の智力をもって、敵の心を翻弄し、あれやこれやと《とのかうの》迷わせ、おそいか早いかと迷わせて、敵がうろたえた心になる拍子をとらえて、確実に勝つ方法を見分けることである。個人戦《一分の兵法》でも、その時々に応じて、いろいろな業(わざ)をしかけて、敵のうろたえた様子につけこみ、思いのままに勝つこと、これが戦いの要諦である。よくよく吟味あるべし。
【解説】
 「うろたえさせる《うろめかす》」を利用するという作戦である。これは前にあった《むかづかせる》《おびやかす》と同じ心の作戦である。敵の心を迷わせ、うろたえさせる。《うろめく》には、浮き足立ち、おろおろする、あわてて前後の見境もなく分別のないことをする、という意味もある。敵を「うろたえさせる《うろめかす》」のは、敵に確固たる心をもたせないためである。あれこれ仕掛けて敵の心を撹乱する。そして敵がうろたえたところを捉えて、そこにつけ込んで勝つ、ということである。

【余話】 『孫子』(孫武著:BC5C~BC2C) (出典:Wikipedia)
 日本の『武士道』にも影響を与えた『孫子(そんし)』は、中国春秋時代の思想家「孫武」による兵法書である。それ以前は戦いの勝敗は天運に左右されると考えられていた。孫武は戦争の記録を分析・研究し、勝敗は運ではなく人為によることを明らかにし、勝利を得るための指針を理論化して後世に残そうとした。孫武の書に後継者たちによって徐々に内容が付加されていき、後に曹操の手によって整理され、今日の形になったといわれる。その構成は、以下の13篇からなる。
 ・ 計篇 :序論。戦争を決断する以前に考慮すべき事柄について述べる。
 ・ 作戦篇:戦争準備計画について述べる。
 ・ 謀攻篇:戦闘に拠らずして、勝利を収める方法について述べる。
 ・ 形篇:攻撃と守備それぞれの態勢について述べる。
 ・ 勢篇:態勢から生じる軍勢の勢いについて述べる。
 ・ 虚実篇:戦争においていかに主導性を発揮するかについて述べる。
 ・ 軍争篇:敵軍の機先を如何に制するかについて述べる。
 ・ 九変篇:戦局の変化に臨機応変に対応するための9つの手立てについて述べる。
 ・ 行軍篇:軍を進める上での注意事項について述べる。
 ・ 地形篇: 地形によって戦術を変更することを説く。
 ・ 九地篇:9種類の地勢について説明し、それに応じた戦術を説く。
 ・ 火攻篇:火攻め戦術について述べる。
 ・ 用間篇:スパイ、敵情偵察の重要性を説く。
その全体的特徴は、
( 1 ) 非好戦的 - 戦争を簡単に起こすことや、長期戦による国力消耗を戒める。
「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(謀攻篇)
( 2 ) 現実主義 - 緻密な観察眼に基づき、戦争の様々な様相を分析し、それに対応した記述を行う。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」(謀攻篇)
( 3 ) 主導権の重視 - 「善く攻むる者には、敵、其の守る所を知らず。善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず」(虚実篇)
孫子は戦争を極めて深刻なものと捉えていた。
「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の地なり。察せざるべからず」(戦争は国家の大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。よく考えねばならない)
戦争という事象だけで考察するのではなく、あくまで国家運営と戦争との関係を俯瞰する政略・戦略を重視する姿勢から導き出されたものである。
「国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ」、「百戦百勝は善の善なるものに非ず」「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり」(多少まずいやり方で短期決戦に出ることはあっても、長期戦に持ち込んで成功した例は知らない)
戦争長期化によって国家に与える経済的負担を憂慮するものである。この費用対効果的な発想も、国家と戦争の関係から発せられたものである。『孫子』が単なる兵法解説書の地位を脱し、今日まで普遍的な価値を有し続けているのは、目先の戦闘に勝利することに終始せず国家との関係から戦争を論ずる性格による。

『孫子』戦略論の特色は、「廟算(軍議と実情分析)」の重視にある。何を分析するかというと、道(為政者のあり方)、天(天候などの自然)、地(地形)、将(戦争指導者の力量)、法(軍の制度・軍規)の「五事」である。すなわち、敵味方のどちらの君主が人心を把握しているか。将軍はどちらが優秀な人材であるか。天の利・地の利はどちらの軍に有利か。軍規はどちらがより厳格に守られているか。軍隊はどちらが強力か。兵卒の訓練は、どちらがよりなされているか。信賞必罰はどちらがより明確に守られているか。以上のような要素を戦前に比較し、十分な勝算が見込めるときに兵を起こすべきとする。
 ・ 彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。
 ・ 主導権を握って変幻自在に戦え。
 ・ 事前に的確な見通しを立て、敵の無備を攻め、その不意を衝く。
 ・ 敵と対峙するときは正(正攻法)の作戦を採用し、戦いは奇(奇襲)によって勝つ。
 ・ 守勢のときはじっと鳴りをひそめ、攻勢のときは一気にたたみかける。
 ・ 勝算があれば戦い、なければ戦わない。
 ・ 兵力の分散と集中に注意し、たえず敵の状況に対応して変化する。

『孫子』が日本に伝えられたことを史料的に確認できるのは、『続日本紀』(760年)で、吉備真備のもとへ『孫子』の兵法を学ぶために下級武官が派遣されたとの記録がある。律令制の時代では、『孫子』は学問・教養の書として貴族たちに受け入れられた。
中世における戦争は、個人の技量が幅をきかせる一対一の戦闘の集積であったため、『孫子』を活用することは少なかった。『孫子』のような組織戦の兵法はまだ生かされることはなかった。しかし足軽が登場し、組織戦が主体となると、『孫子』は取り入れられるようになる。武田信玄が軍争篇の一節より採った「風林火山」を旗指物にしていたことは有名である。
徳川幕府になると、兵学と呼ばれる学問が隆盛を迎える。天下泰平の世には実戦など稀であるが、かえって戦国時代に蓄積された軍事知識を体系化しようとする動きが出てきた。それが兵学(軍学)である。それに伴い、『孫子』を兵法の知識体系として研究する傾向が復活する。林羅山『孫子諺解』や山鹿素行『孫子諺義』、新井白石『孫武兵法択』、荻生徂徠『孫子国字解』、佐藤一斎『孫子副註』、吉田松陰『孫子評注』らが代表的である。
戦後、自衛隊では第二次世界大戦敗因への批判的分析から、孫子の兵法はクラウゼヴィッツの『戦争論』と対比される形で研究されてきた。『戦争論』は、決定的会戦の重視や敵兵力の殲滅、敵国の完全打倒を基本概念としているのに対し、『孫子』は、直接的な戦闘よりも策略・謀略を用いた間接的戦略を重視すべきであるとする。

(参考文献)
「五輪書」 宮本武蔵 (著)、鎌田茂雄 (訳)、講談社学術文庫、2006年
(参照サイト)
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