PMプロの知恵コーナー
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「原発事故」 (10) 原発以外の外部電源

仲 俊二郎/小石原 健介 [プロフィール] :10月号

10 原発以外の他のプラントでも福島と同じように外部電源を軽視していますか

 これまでも強調してきましたが、外部電源の供給は原発に限らず、すべての産業プラントの「命綱」です。例えば製鉄所の製鋼プラントでは、溶銑(溶けた銑鉄の湯。1,000℃以上)による火災事故に備え、電線ケーブルはすべて地下のケーブルトンネル内に布設されています。また空港施設では、自然災害や火災事故に備え、地下トンネルに設けられた共同溝に配管と共に布設されています。こうしておけば今回の地震津波に対しても、被害を免れ、原発の安全は確保できたのではないでしょうか。
 福島第1原発では、送電線を支える鉄塔が地震で倒壊し、外部電源の供給が不可能になってしまいました。この教訓を生かし、電気系統ケーブルは地下に埋設することが有効と考えられます。また他のプラントでは安全を考え、外部電源の供給は複数ルート持つことが一般的になっています。福島第2原発では外部電源は2系統4回線を持っていたため、今回の津波でもかろうじて1回線が生き残り、原発を救う鍵となったのです。
 関電大飯原発では小浜、西京都、京北という3つの変電所とそれぞれ独立した3系統の充電網で結ばれています。福島第1原発が一つの変電所からの受電網しかなかったことを考えれば、大飯原発では外部電源の多重性、多様性が確保されていると言えましょう。
こうした他のプラントと比較してみますと、非常用発電設備と外部電源について、福島第1原発がいかに無防備かつ脆弱であったかが良く分かります。

11 原子炉建屋内の圧力を下げるベント(換気)のための非常用ベントバルブが電源喪失で開かず、建屋が爆発したが、外国ではどんな工夫をしているのですか?

 格納容器内の圧力を下げるベント(排気)が容易にできない根源的な理由は、電源喪失という事態の時こそ必要になるベントに関して、独立した電源なり、電源に頼らない油圧や空気圧によるバックアップ装備を考慮した設計になっていなかったことにあります。
 現場の吉田所長は、政府や東電本店から「なぜ早くベントを実施しないのか」という命令を受け、電源が喪失した以上、ベント弁の操作は手動でやるしかないと判断しました。そこで当直長らに対し、決死隊を編成し、かなり高い被曝の覚悟をしたうえで、万全の備えをし て、手動によるベントを決行するよう要請しました。
 しかしこの決死隊はベント弁へ近づくまでに線量が既定の値を超え、引き返さざるを得なくなり、ベントは成功しませんでした。どんなシステムであれ、電源喪失時に備え、電源に頼らないバックアップ装備を備えていない設計思想の欠陥には、驚く他はありません。一般の産業プラントでは到底考えられない事態です。
これに関し、柳田邦男氏は文芸春秋で以下のような記述をしています(要約)。
 「1号機原子炉の圧力容器の内部圧力は、格納容器が破損しないで持ちこたえられる最高使用圧力を大きく超えていた。一刻も早く格納容器の圧力を下げる手を打たないと大変なことになる。この事態を回避するには格納容器の圧力を下げるベントしかない。しかし制御盤でのベント操作は、いくら試みても電源喪失下では不可能だった。
 『できるわけがないよ!』と叫ぶ吉田所長に対し、政府や東電本店からは、『なぜ早くベントを実施しないのか、何をもたもたしているのか』と言わんばかりにせっついてくる。現場に活を入れようと、菅首相も急遽飛んできて、『何としてもベントを急げ』というので、切羽詰った吉田所長は『決死隊を作ってやります』ときっぱりと言った。何とか弁に近づいて、鉄の長い棒で弁を壊せないかといった方法まで考えたのだが、丁度いい鉄の棒など所内にあるはずもなかった」

 吉田所長の判断と行動についてのこの記述は、事態がいかに深刻であったかを物語っています。電源喪失時では、ベント弁の操作は手動でやるしかなく、そのための決死隊を編成しようとしました。しかしこれは彼の勇敢さには感銘しても、その実行性からみて、まったく誤った判断でした。鉄の棒で弁を壊すなどは安全を無視した無謀かつ論外の発想と言うほかありません。
 決死隊のベントは前述のとおり失敗しました。吉田所長は、最後の手段として、強力なコンプレッサーを配管に接続して、強引に弁を開けなければならないと判断。結局、協力企業が持っていた大型コンプレッサーが見つかり、ベントに成功したのは、決死隊の失敗から5時間も経った14時30分になってからです。
 吉田所長は、まさにその時刻に遠方から福島中央テレビのカメラが超望遠レンズでとらえた1号機から白煙が立ち上る情景がしばらく放送されたのを確認し、ベントがうまくできたと判断して、保安院や本店に報告しました。そしてほっとした矢先の15時36分、1号機建屋の最上階で、凄まじい音響とともに屋根や外壁が粉々になって吹き飛び水素爆発が起こったのでした。
 この水素爆発に至る一連の経緯から言えることは、ベント弁を操作するために、鉄の棒とかいろんなことを考えず、いち早くバッテリー電源や可搬式の小型の発電機を準備していたなら、ベントは容易にでき、水素爆発は防ぐことができたはずなのです。実に残念という他ありません。現場での咄嗟の適切な判断がいかに重要か、ということであります。

 またカナダの原発CANADUでは、これらのバックアップ装置に加えて、原子炉建屋内の圧力がある値を超えればバルブに頼らず、自動的に幕のような仕切りが内圧で破れ、フィルターを通って内部のガスを大気に安全に逃がす最終装置が設けられていると聞いている。福島第1原発では実際にバルブ操作の訓練は一度もされておらず、電源のない中で十分な図面もなく操作が難しかった。結果として水素爆発を防ぐことができなかった。こうした技術的な備えを無視した「安全神話」とは一体何だったのか。原発関係者も閉ざされた原子力ムラから目を広げ産業プラントの安全設備、原発先進国の先端技術を学ぶ真摯な取組みを忘れてはならない。

   図表12   原子炉建屋の爆発

図表12 原子炉建屋の爆発

事前の対策
ベント弁の開閉は電源に頼らない油圧式とし、空気圧によるバックアップを装備する。
ベント弁は比較線量の低い位置に設置する。
ベント弁の手動操作は日頃から訓練を重ね、たとえ暗闇でも出来るようにしておく。
外部注水源の確保は十分準備しておく。

 東電テレビ会議の記録からは、ガソリンや注水用水不足が深刻になり、泥縄式の対応を余儀なくされていたことが暴露されています。

12 「電源喪失は起こらない」という安全神話を信じ、マニュアルもなければ訓練もしてこなかったというのは、一体どう考えればいいのでしょうか

 船舶や他の産業プラントでは、関連法規・施行規則等により、電源喪失や火災発生時の非常事態に備えた各種の訓練が義務付けられています。
 とりわけ原発では、プラントの「命網」である電源喪失時のシビアアクシデントに備え、日頃の訓練はどのように行われていたのか。この点を先ずレビューしてみましょう。
 1990年8月30日付けで原子力安全委員会が決定した「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」の解説があります。ここで「長期間にわたる全交流電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流発電設備の修復が期待できるので、考慮する必要はない」と述べています。
 この政府の「安全指針」はとんでもない誤りでした。重大な責任問題です。現実には、送電線も非常用交流電源設備も復旧することなく、全電源が長期間にわたって失われて、悲惨な事故に至りました。
 東電もこの指針に従い、原発では非常用発電設備を備えているので全電源の喪失は想定していませんでした。従って当然その時のマニュアルや訓練も不十分で、ただ安全であるということだけをまるで宗教のように信じ込んでいたのです。プラントを知る者として、到底こんな無責任さを許すことはできませんし、またそれ以上にこんな指針がまかり通っていたということが信じられません。

原子力安全委員会の全電源喪失は考慮する必要はないとする指針について、委員会で異論は出なかったのか?重大な誤りを犯していた

13 もし外部電源の復旧にいち早く着手しておれば建屋や原子炉冷却装置の爆発は起こらなかったのに、どうして復旧に9日間もかかったの?

 3月11日の津波により、非常用電源の早期復旧が不可能となりました。その結果、一刻も早い外部電源の復旧がなければ、原発は完全に管理機能不全に陥り、重大な事態を招くことになります。
 この緊急事態での対応としては、間髪を入れず外部電源の復旧を最優先に全力投入をしなければなりませんでした。13日の報道によると、福島県内に電気を供給している東北電力の送電線を補修して原発内に電気を引き込む作業には、10~15時間かかる、と報告されていました。
 もし全電源が喪失した11日の15時41分に、間髪を入れず外部電源の復旧に全力投入をしておれば、遅くとも翌日の午前中には復旧できたと推測されます。そして間違いなく事故による災害の発生を極小化できたでしょう。
 残念ながら外部電源の復旧作業にとりかかったのは、ずいぶんあとです。2号機、3号機の炉心溶融(メルトダウン)、4号機を含めた原子炉建屋の水素爆発、2号機の格納容器の穴あき、これらによる大量の放射線物質の漏えい・拡散という、最悪の事態を招いた後の事故から6日経った17日の朝からです。長年プラントの現場を経験者してきた者としては全く信じられません。おそらく全電源喪失による緊急事態に備えて日頃の訓練やマニアル整備に不備があったものと推測されます。

外部電源の復旧の遅れについては、いかなる弁明も
許されない。

14 陸自ヘリコプターによる空からの散水や機動隊による高圧放水作業は効果があった?

 事故現場からは高濃度の放射性物質の放出が続き、一刻の猶予もない切迫した状況になりました。これ以上は待てません。そこで「国民の生命、国家の存立がかかっている」と、自衛隊員と警察官たちが決死の覚悟で立ち向かったのです。
 他に選択肢がなかったとはいえ、これは首相官邸の強い要請によるものでした。3月17日午前8時 放水のため自衛隊のヘリ4機が離陸。午前9時48分、1機目のヘリが3号機の上空約90mから水の投下を開始。約15分のあいだに2機がそれぞれ2回、7.5tの水を投下しました。「空からヘリで水をかける」という光景は、とても科学技術の先端を行く原発事故の対応とは思えません。さらにこれに追い討ちをかけ、午後、陸上からの放水の準備に入りました。防衛省幹部によると、「自衛隊で出来ることは何でもやってほしい」という、首相官邸側の要請を受けての決断でした。
 また警視庁でも五つの機動隊から2人ずつ、放水車の操縦に慣れた隊員が選抜され、放水の実行部隊が編成されました。17日午後7時過ぎから高圧放水車が放水を実施したのですが、効果はあがらずじまい。予定通り目標から約50mまで近寄りましたが、放射線量が多すぎ、撤退を余儀なくされました。
 しかし現実に3号機は既に13日8時から9時のあいだにメルトダウンがはじまっていたとする分析から、この決死の水の投下、放水作業は、はじめから何ら効果のないものであったことが分ります。ちなみにアメリカ政府はヘリからの放水計画を聞いたとき、信じられない思いで唖然としたと言われています。

ヘリで水を落とすという発想は、あまりにも原始的で
効果のない方策であった

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