理事長コーナー
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アリとキリギリス

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :8月号

 今年も暑い夏を迎えた。木陰で涼んでいると、その木の幹を小さなアリが列をなして上がり下がりしていた。アリで思いつくのが、イソップ寓話の「アリとキリギリス」である。

 夏の間、アリは越冬のためにせっせと働き続け食料を蓄える。一方、キリギリスは洒落た服を着てバイオリンを弾き、生活を楽しむ。アリの行動が理解できない。やがて冬になると、アリの勤勉さの重要性が証明される。キリギリスは食にありつけず、アリに物乞いする。寝付くまで何度も読んでもらった記憶がある。挿絵がお気に入りだったが、アリは覚えてない。得意げにバイオリンを弾いている場面と洒落た服がぼろぼろになったキリギリスは覚えている。「アリのように真面目に働かないとキリギリスのようになるよ」と教わった。

 イソップ寓話の起源はギリシャ周辺だそうだが、諸説あり確かではないらしい。寓話が世界に広まるに従い、国や地域の嗜好により変化してもおかしくはない。民族、宗教、習慣などと関連した特徴のある教訓的な終結が生まれた。この寓話にも色々なパターンがあることが判った。夏の場面は同じだ。ところが冬の場面の極端な一つに、物乞いに来たキリギリスに対して、アリが拒否する例がある。その結果、キリギリスは餓死してしまう。他の例では、アリがキリギリスに働くように諭し、食物を与え、キリギリスが改心して働くようになるという。また、キリギリスが、食料をもらう代償として、アリにバイオリンを弾き楽しませるという例もある。

 私は子供のころに記憶した初めの内容が好きだ。勝手な想像だが、日本人の多くはこのタイプを好むように思える。勤勉な日本人という既成概念からそう思うのかもしれない。その対極にあるのが刹那的な考えだ。充分に長くない人生を好きなことをして楽しむ、キリギリス的に生きるべきだという。子供の頃の私には、このような事を言っている人は無理をして言っている、あるいは、恰好を付けて話しているようにしか思えなかった。

 代償としてバイオリンを弾く最後の例は、経済学的合理性の話だが、人生観と勤労姿勢の側面から見てみるといささか考えさせられる。 “アリ人間”は、わき目もふらずこつこつと長時間働き、決められた様に列をなし食料を見つけ、わずかずつ繰返し繰り返し巣に運ぶが、運ぶ量は限られる。従い利得は多くなく、人生を楽しむことがない。わずかな儲けから蓄積をして不況に備える。働くことが趣味ですと云ってはばからないかもしれない。一方、“キリギリス人間”は、多くの時間を自分の好きな得意技を磨くことに使い、かつ、その技を披露して顧客に歓びと満足を与える。不況になるとお呼びが減るが、経済が循環して良い期間の生活は華々しい。

 そうです、“アリ人間”は日本人、あるいは団塊の世代以前の日本人のイメージです。真面目にそこそこ稼ぐが大儲けには結びつかない。カイゼンには強いが、独創的でない。どの人も思いついたことがないオリジナルで真に普遍的な、場合によっては、社会の行く末を明々と照らし出すような理念の提言やモノの提供がされ、頻繁ではないが世の中が変わるような影響を与えるのは、“キリギリス人間“で、結果として儲けている。勤勉は、独創性を生むか。勤勉は、世界標準となる規範を生むか。答えはノーである。

 以上はもちろん誇張し過ぎている。暑いのでビールを飲み、更にもう一段ジャンプし、P2Mに関連させて、連想してみた。勤勉なプロジェクトマネジャーは成功するか。はたまた、勤勉なプログラムマネジアーは成功するか。プログラムマネジャーは、課題解決が使命だが、多くの課題はユニークで個別性をもつため、プログラムの持つ基本的特徴の多義性、拡張性、複雑性、不確実性への対応を考慮すると、結果は独創的な解となる。ゆえにプログラムマネジャーは、イノベーターである。プログラムマネジメントを通して日本人も勤勉性に加え独創性を実現できる? ここまで来て、“ジャンプ”も程々にすべきだと気がついた。P2Mの起点となるミッション、ビジョン、戦略の話題を抜きにしてその過程(プロセス)と解(ソリューション)の適、不適は語れない。アリとキリギリス論議の延長では無理があり過ぎかな・・・・・。

以 上

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