図書紹介
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海賊と呼ばれた男 【上】
(百田尚樹著、講談社、2013年4月9日発行、第19刷、380ページ、1,600円+税)
海賊と呼ばれた男 【下】
(百田尚樹著、講談社、2013年4月9日発行、第19刷、362ページ、1,600円+税)

デニマルさん: 6月号

今回紹介の本は、2013年本屋大賞を受賞したベストセラーである。本屋大賞と言えば、昨年「船を編む」(三浦しおん著)、一昨年「天地明察」(沖方丁著)を採り上げ、2009年にも「告白」(湊かなえ著)をここで紹介した。どうして芥川賞や直木賞でなく本屋大賞に傾くかと言えば、面白い本が多いからである。この本屋大賞の選考は、先の芥川賞等の様に作家の先生方が選ぶのではなく、本を実際に販売している全国の本屋の関係者(今年は463店舗、598人)が「今、一番売りたい本」を推薦した結果から決定している。著者の百田氏は放送作家であったが、2006年に書いた「永遠の0」(太田出版)で小説家としてデビューした。この本屋大賞にも「ボックス!」(2009年)と「錨を上げよ」(2011年)に上位にランクアップされていた。今回の本は上下2巻で740ページ余とボリュームがあるが、明治から昭和の歴史の中で主人公の波乱万丈の人生を感動的なドキュメンタリードラマとしてテンポ良く書いている。内容の濃い人生ドラマに引き込まれ、短く感じる長編小説である。

海賊と呼ばれた男の商売   ―― 国岡商店の店主 ――
この小説の主人公は、石油小売である国岡商店の店主・国岡鐡造である。読んでいる内に出光興産の創業者・出光佐三(1885年~1981年)であることが分かるが、正確には本のオビに書かれてある。タイトルの海賊であるが、漁船や運搬船に燃料を売る方法を港から海上に変えたことと、門司と下関界隈の船が殆ど国岡商店から購入していたことに由来する。それと従来の一斗缶販売から給油船による海上販売だったので「海賊」と揶揄されていた。

海賊と呼ばれた男の師匠  ―― 日田重太郎との出会い ――
国岡鐡造は、現在の神戸大学を卒業している。その関係で学校や先輩との繋がりが主人公の人生に大きな影響を与えている。その一人が9年先輩で創業資金を提供した日田重太郎である。子供の家庭教師を通じて、その人柄と誠実さを見込んで自分の財産をなげうって資金提供をした。その時の条件が「返済不要、利子も不要、事業報告も不要」であった。その後、国岡商店は『人間尊重経営』を貫き、日本の石油業界を代表する企業に成長した。

海賊と呼ばれた男の趣味  ―― 仙崖(せんがい) ――
この小説は、明治後半から昭和にかけて書かれてある。だから第一次世界大戦や太平洋戦争の敗戦もあった。中でも関東大震災では、会社倒産の危機に遭遇している。その危機を救ったのは現在の大分銀行であるが、その覚悟を支えたのが日田重太郎であった。その日田から古美術の薫陶を受けていた。特に、仙崖和尚(江戸時代の禅僧、画家)の素朴な画書を好んだ。そんな関係か仙崖の「堪忍柳画賛」が当時の国岡商店に飾ってあったという。


今年の4月9日、2013年度の「本屋大賞」受賞作が発表され、この本が大賞を受賞した。その授賞式で著者は「作家になって7年。初めていただいた賞なので、本当にうれしい。直木賞なんかよりはるかに素晴らしい」と大喜び。それと「運が悪いことに12日に村上春樹さんの本(「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文芸春秋社))が発売される。受賞作品史上最も売り上げの悪い本になってしまうかもしれません」と冗談交じりで挨拶している。現時点でのアマゾンランキングでは、村上氏の本より多少上位にタンクされ、著者の心配を払拭している。今年の本屋大賞には、11冊の本がノミネートされた。筆者もその中から「64(ロクヨン)」(横山秀夫著)、「世界から猫が消えたなら」(川村元気著)、「百年法」(山田宗樹著)を先取りして読んでみた。個人的には、「百年法」のストーリィに興味があったが、大賞を受賞した作品には及ばない。いい本を探し出すのは非常には難しい。
しかし、この本は日本人の「義」を貫く意味と窮地に対処する勇気と感動を与えてくれた。

海賊と呼ばれた男の競争相手   ―― セブン・シスターズ ――
日本の原油は、アメリカから輸入されていた。日本の石油販売元は、アメリカの元売り会社と販売提携して輸入販売している。国岡商店は、商売の拡充で元売り会社を目指し、大会社との競争に挑んだ。当時メジャー3社(スタンダ―ド、シェル、アングロ・ペルシャ)にガルフ、テキサコ等のセブン・シスターズがいて、世界中の原油をコントロールしていた。それに対抗する有効な手段は、貯蔵タンクとタンカー建設の新たな挑戦が求められた。

海賊と呼ばれた男の武器  ―― 日章丸から国岡丸 ――
主人公の商売は石油の小売りであるが、原油は当時から輸入品である。終戦後、商売を拡大した国岡商店は自前の原油輸送船(タンカー)を持つことが、他競争相手に勝つ強力な武器となる戦略を実施した。それが当時日本中を沸かせた「日章丸事件」である。日本が独自のルートでアメリカ以外から直接原油を調達した第一号である。民間企業が国のエネルギー調達の活路を開き、巨大タンカーの時代となって、世界一の国岡丸の就航に繋がる。

海賊と呼ばれた男の信念  ―― 「はよふ、おきんかあヽ」 ――
国岡商店は、「時間による社員管理(タイムカード)なし」「定年なし」「馘首なし」「株式公開なし」「労働組合なし」の『人間尊重経営』を貫き、創業60年にして8千人の社員を擁する大会社になった。その主人公は、「終身店主」となって後輩に経営を譲った。その後、年頭の辞で「仙崖さんは大声で『はよふ、おきんかあヽ』と怒鳴っておられる。これは確固たる信念で生きろとの一喝である」と述べている。その年3月に96歳の天寿を全うした。


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