グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第61回)
都に匂う花の雲

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :5月号

 今月は閑話休題。4月にあった楽しい出来事を思いのままに書かせていただく。
とはいえ、「都に匂う花の雲」というタイトルがついているが、これは私が大好きな明治大学の学生歌であるが、その言われはあとで書く。

 
 4月2日月曜日、大学院ビジネススクールに用事があり、東横線日吉駅(横浜市)に降り立ったら、駅の真ん前の慶應義塾大学の構内は人また人の波であった。すぐに気が付いた。入学式の午後の部が始まる前であったのだ。新入生諸君の嬉しそうな顔、そしてそれよりもっと嬉しそうな親御さん。祖父母同行の学生も多い。人の波が止まって長い行列ができているところがあり、なんであろうかと見に行ったら、入学式案内の立て看板の前で記念撮影をする順番を待っているのだ。そうこうしているうちに、はと気が付いた。ちょうど50年前に自分が主役の一人でこの場所に居たことを。
 その、言わば大人の入り口からこれまで50年間、色々なことを成し遂げることができて、いまだ元気で半分現役であることに、すごくありがたい、と感謝の念が湧き出てきた。これからも、人に邪魔にならない程度に頑張ろうと思う。

 ついでにその週末6日夕方には、これも45年前に社会に巣立っていった三田キャンパスでプログラムマネジメントについて講演を行う機会があった。スケジューリング学会という、オペレーションズリサーチ(OR)、インダストリアルエンジニアリング(IE) 、サプライチェーンマネジメント(SCM)、生産管理などの研究者と実務者の学会で、プロジェクト&プログラムマネジメント・アナリシス研究部会があり、部会依頼の講演を行いながら、実に有益な交流ができた。海外を主にP2Mを教えだしてからP2Mを正しく教えるにはシステムズアプローチの勉強をやり直す必要をひしひしと感じている昨今である。

 その次は、システム科学研究機関世界トップ、スイスのInternational Institute for Applied Systems Analysis (IIASA) からExtreme Events(極限事態)研究の大家である教授2名の日本来訪があり、慶應義塾大学管理工学科主催でイブニングセミナーが開催され、慶應の教授方々と共に出席した。これは実にエキサイティングな講演であった。システム理論、複雑性理論、Constructivist Epistemo-praxeology などのP2Mの源流理論を縦横に配し、またすぐれた社会動態分析の新手法を一国に適用し、国の動きを予測するリサーチを行っており、来訪者との交流にも力が入った。私の方からも2010年にヨーロッパで発表した論文をお送りし、続きの議論を申し入れた。

 今月の主たる作業項目は、5月第5週にモスクワで実施するP2Mプログラムマネジメント応用のマスタークラスの教材作成と、引き続き開催されるエンジニアリング系のPM大会での招待講演のスライドの編集であった。マスタークラスのプロモーションは現地で大変な勢いで進んでいる。すでにオフィシャルHPは30ページにおよんでおり、またWEBでの関連記事も続々と登場している。大変心強い。ロシアのトップリサーチ機関の情報収集力とマネジメント力は超一流である。
 自分ひとりでロシアに乗り込んで大きなマスタークラスを打つとなると若干は心配するが、ロシア進出は私のリサーチパートナーでありCIS諸国で最高の(世界でも有名な)PM学者であるウクライナプロジェクトマネジメント協会セルゲイ・ブシュイェブ会長との合作であり、またロシアでは私の知名度がかなり高く、すでに私の実体も把握されているので、地で行けばよいと思っている。
 ロシア語での関連記事は、Googleの無料の翻訳エンジンを使って内容把握を行っているが、日本語とロシア語であると、機械翻訳の精度は使い物になるレベルにはなく、漠然と何が書いてあるか把握できる程度であるが、英語とロシア語であるとかなり正確な訳が瞬時に出てきてくる。たとえば、私が提出した英語の経歴書5ページを使用してロシアの招聘元の社長がロシア語のWikipediaに私の人名記事を掲載したが、これをGoogle Translatorで英語にしてみたら、英語の原文の90%は忠実に再現された。これはすごい。ただし、Program ManagementでのProgramはSoftwareになってしまっている。ロシアのでも日本と同じようにProgram の意味の誤解が生じているようだ。

 5つ目、私の学の恩師であるProfessor Chritophe N. Bredilletがオーストラアリアの名門、Queensland University of Technology (QUT) のProject Management Academy長に就任した。先生は一昨年フランスSKEMA Business Schoolの学長を辞して、世界銀行のプログラムとしてセネガルでCASR-3PM大学院大学を設立したが、同国の内紛と総選挙の影響でプログラムの立ち上げが遅れており(従い弟子として教授に就任した私の出番も延期)、かつて学部長を務めたこともあるオーストラリアで再び教鞭をとりPMリサーチを展開することになった。
 Bredillet教授はPM界で唯一A級ジャーナルであるWiley - PMIのProject Management Journalで余人に代えがたき編集長であり、世界のPM学者の代表であり、まさに哲人である。落ち着いたところで、また、P2Mの世界プロモーションを師弟で進めたいと思う。

 今月は、私の心のふる里神宮球場へ東京六大学野球の応援に2度でかけた。中学生・高校生時代は長嶋・杉浦・元屋敷を擁してほぼ不敗であった立教大学の熱狂的なファンであり、長嶋選手の六大学新記録*7号ホームランも生で見ることができた(*その後田淵選手、高橋由伸選手が更新)。大学生時代にはよほどのことがないかぎり週末の自校の試合には神宮にいた。怪腕渡辺泰輔投手(慶大→南海)と江藤選手、広野選手など私と同期の好打者・強打者がいて試合は大体勝つものであった。しかし、よくやられたのは1年からレギュラーであった星野仙一投手であり高田繁外野手であった。
 その後神宮にはほとんど行けなくなったが、「集まり散じて 人は変れど仰ぐは同じき 理想の光 いざ声そろへて 空もとどろに われらが母校の名をばたたへん」(早稲田大学校歌より)の歌声に誘われて昨年秋からまた神宮詣で始まった。私の場合は母校というより六大学野球全体が好きなのである。特に応援が好きだ。
 今月は、6大学全部の試合を観戦し、陣どった一塁側4校の校歌と第一応援歌を歌い応援しながら各チームの戦力の感触を探ったり、各応援指導部の現在のカラーを興味深く観察した。
春季リーグ戦開幕式 やっぱり明治がNo.1 (明大応援歌)
春季リーグ戦開幕式 やっぱり明治がNo.1 (明大応援歌)

 私の住む町田市の昨年夏の甲子園覇者日大三高からはエースの吉永君が早稲田に、4番打者の横尾君が慶應に進学した。また3番と5番打者は明治に行った。1年の春リーグからみなレギュラーで斉藤祐樹二世といわれ同じ背番号16番をつける吉永君は初戦で6回1安打の投球でデビューしたが、これは斉藤先輩のデビュー戦記録と全く同じである(まだ本来のスピードは出てないが)。横尾君はバットが湿りがちの慶應打線でタイムリー二塁打を放ち先輩カツを入れた。
 なお、慶應野球部には、同部として初めて、六大学では4人名となる女子選手が登録された。川崎綾乃君で、一浪して一般入試で今年入学した。女子高校野球界の絶対的なエースであり、155センチと小柄ながら、133キロ(男子であると155キロに相当)の球速と男子でも投げられない大きなカーブを投げる(指導した野球評論家の西本聖氏)とのこと。無事デビューできることを願っている。
 私の独断では、野球の戦力から春季リーグの優勝候補は早稲田、応援指導部男子リーディングは6校ほぼ互角、チアリーディングは明治がすごい。反対側のスタンドから見ていると明治のチアの舞いはまるで胡蝶のようである。リーダー部が2008年に廃部になってから応援を仕切る場面が多くなったので、リーダー抜きでチアだけで応援を仕切ることも度々ある。
 いまの神宮球場の応援席は学生がきわめて少なく年配のOBばかりのようであるが、オーストラリア、インド、ウクライナなどのPM大会で真っ先に発言し、またヨイショ役をいつも演じて場を盛り立てるのが仕事であった私には選手もそうであるが、応援指導部の熱き戦いに大変な親近感を抱いている。

 それで、タイトルの「都に匂う花の雲」であるが、明治大学の学生歌であり、古賀政男作曲の演歌調名調子から、私はいつも鼻歌で歌っている。現役の明治大学の学生でもクラブ活動をやっている者以外は知らないそうであるが、キャンパスの春夏秋冬を謳った名曲だ。「都に匂う花の雲 旭日映ゆる駿河台」で始まり「幾星霜の空のもと その名ぞ高し駿河台」と締めるが、「春夏秋冬」や「幾星霜の空のもと」はまさに私の心境を綴っている。

 来月は9年ぶりに訪れるモスクワから実況中継といきたい。  ♥♥♥♥♥

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