宇宙ステーション余話
次号

「宇宙ステーション余話」 第1回

長谷川 義幸:11月号

■国際宇宙ステーションは難産の末日の目をみた
 筆者は国際宇宙ステーションプロジェクトに参加して約17年が経過しました。このプロジェクトは米国レーガン大統領が提案、米国、ロシア、カナダ、欧州等の世界16カ国が各々機器を分担製作し、地上400kmの宇宙空間で組立てて宇宙医学、地球観測、天体観測や生命科学実験を行う人類史上最大規模の国際プロジェクトで、日本は、約200万点の部品からなる日本実験棟「きぼう」を開発し参加しています。このプロジェクトは1985年から始まったのですが、約20年経過した現在まだ推進中の長工期のプロジェクトです。日本には、有人宇宙船の技術もマネージメントの経験がそれまでありませんでしたが、宇宙先進国との国際プロジェクトにどっぷり参加して、ハードウエアでの工学的技術の修得はもとより有人安全の設計と管理、信頼性・品質管理を中心に、異なる文化や言語をもつ国々との大規模プロジェクトマネージメントの習得を行ってきました。米国もこのようなロシアを取り込んだ世界の複数の宇宙機関と長期間人間が滞在できる宇宙施設の開発と運用は経験がありませんでしたし、カナダも欧州宇宙機関も、日本よりは有人宇宙システムの技術があり、国際交渉の経験が豊かですが、世界の複数の国々との大規模なプロジェクト推進の経験はありませんでした。そのため、プロジェクトの構想計画段階から各国の政治的・政策的な思惑を背景にした意思決定の仕組みつくり、自国が有利になるような宇宙ステーション全体の荷姿・形態(コンフィギュレーション)を討議してゆくときの基準技術のせめぎあいをかなり長い期間行うことになりました。
 1998年11月、最初のモジュールがロシアから打ち上げられ、さらに12月にスペースシャトルで2番目のモジュールが打ち上げられ国際宇宙ステーションの建設が始まりました。 その後、2002年の「コロンビア号」の事故がありましたが、建設は続き2007年には宇宙ステーションの6割が完成しています。

● 構想計画段階でロシアを引き入れる
 構想計画段階は、米国議会で開発予算の超過や設計案の不備により宇宙ステーション計画打ち切り動議が毎年発生する事態があり、1991年には米議会下院で宇宙ステーション計画を中止する動議が可決されたが、参加各国の宇宙機関代表者の応援があってかろうじて上院で否決される事態までありました。
 1993年,クリントンが大統領に就任し財政再建の一環として国際宇宙ステーション計画の簡素化を打ち出したため、国際宇宙ステーション計画は大幅な設計変更を余儀なく行なうことになりました。冷戦が終結しミール宇宙船で培ったロシアの有人技術を取り込めば,より早く,低コストで、確実に宇宙ステーションが開発できるのではないかと思惑があり、米国政府はロシアの参加を求めました。そして、1994年にようやくロシアの提供モジュールを含めた宇宙ステーション全体構成とスケジュールが決まりました。米国大統領が変わるたびに何度も見直しが繰り返されて計画が固まるのに実に10年の歳月と16カ国もの多くの国が参加、これまでに誰も経験したことのない複雑なプロジェクトがスタートしました。

■設計は各国の責任で進んだが、課題山積
宇宙ステーションを完成させるために各国が提供するパーツは各国の責任において開発することになっています。それならば他国の状況に左右されないように、参加国は本体に取り付けて結合されば即動くような、独立した実験棟として独自の有人宇宙技術を開発し、宇宙環境を利用した独自の研究成果も、宇宙ロボットなどの先端的な技術も蓄積できるようにする設計にしよう工夫しました。ところが、本体とうまく結合できないといけないし、実験棟で消費する電力は本体から供給され、電力消費により発生した熱は、本体に戻して放熱されるようになっていますので、機械結合やユーティリティの共通仕様が設計上不可欠になります。さらに、宇宙飛行士はどの国の人が操作するのかわからないので設計をある程度標準化しておく必要がありました。ほかにも多種多彩な共通設計要求を決めて行かなければならないので、NASA主導の会議では参加機関との激しい技術のせめぎあいと大論争が繰り広げられることになりました。「電力や空調、通信、結合装置等の設計基準は?」「各国が開発する機種の異なるコンピュータの接続はどうするのか?」 これらの交渉は当然、国益や政策的な要素が絡み、自国にもっとも都合の良くするため1つの課題に1年以上近く議論を重ねたケースもありました。 しかも、米国の財政事情や米国政権の交代により政策変更を何度も影響をうけたため、設計見直しが何度も繰り返されることになりました。

■有人宇宙技術のノウハウを獲得中
 宇宙ステーションの特徴として、メインテナンスも大きな課題でした。10年以上の運用を見込んでいるため、コンピュータのみならず、いろいろな装置やシステムをすべて宇宙で交換できるようにしておく必要がありました。船外ならば宇宙服を着たまま作業ができたり、ロボットアームで装置を交換できる必要があり、装置の設計や運用上の設計に盛り込むことになります。 設計要求基準がまとまってからも、設計を具体化した設計書と製造図面におとし、いよいよ図面を具体化させる製造の課題が待っています。製造は国内のいくつもの宇宙航空メーカーが受け持つのですが、多くのメーカー担当者の間には、当初 「有人の本格的な宇宙システムなんて経験がなく、安全設計のノウハウもない。どうやっていいかわかならない。我々にできるわけがない。いずれはアメリカから技術や装備をかってこなければならないのではないか」、との感覚があったそうです。
 しかし、我が国は、宇宙先進国のプロジェクトの進め方に戸惑いながらも、主要な設計・製造・試験を国産で実施し技術要求の難題を1つ1つ克服してきました。現在、国際宇宙ステーションに取り付ける日本実験棟は完成し、船内実験室と船内保管室はケネディー宇宙センターで打ち上げにむけて最終機能確認と荷物の積込み作業を実施中です。
 次回から、NASAが文化や仕事の進め方が異なる複数の国々をいかにまとめてきたのか、我が国はその中でどのように先進技術とマネージメント手法を修得していったのか紹介したいと思います
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