PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(52) 「聴  覚」

高根 宏士:8月号

 7月号は体調不良のために休載させていただき、申し訳ありませんでした。筆者は今年に入って、心筋梗塞になり、その経験を5、6月号に書きました。その後体調も回復し、これからという5月中旬辺りから、何となく疲れ気味と感じていたのですが、これが帯状疱疹の初期症状でした。少ししてから体のいろいろなところが痛くなりだし、右太腿にぽつぽつと疱疹が出てきたのですが、熱も出なかったので、放置していました。6月7日に循環器の定期健診に行きましたら、帯状疱疹ということで、すぐに皮膚科に紹介されました。皮膚科ではすぐに入院といわれたのですが、所用があり、点滴と薬で治療することになりました。しかし治療が半月ほど遅れたため、神経がウイルスに食い荒らされ、痛みがひどくなり、それから1ヶ月ほど寝返りを打っても激痛を感じるほどになりました。横になったままという状態でした。痛みについては皮膚科では手に負えず、ペインクリニックにかかることになりました。そして神経ブロックのため、週2回、6本の注射を打ちました。現在痛みは軽減されましたが、腰から右大腿部にかけて痺れが残っています。完全に直るのには数ヶ月かかりそうです。最悪は後神経痛としてずっと残ってしまうそうです。
 帯状疱疹は湿疹がでるので目立ちますが、本質は湿疹ではなく、「痛み」だということをペインクリニックで言われました。

 ところで1ヶ月動けなかった時に感じたことがあります。そのときの五感についてです。五感には視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚があります。通常は視覚が最も情報量が多く、しかもお互いの共通的理解の基盤にもなるものです。そして触覚、味覚、嗅覚もそれなりの役割を果たしているようです。
 聴覚は視覚に次いで情報量が多いようですが、比較的曖昧なこともあり、視覚ほど重要視されていないのではないでしょうか。ところが1ヶ月ほど動けなかった時に、最も頼りになったのは聴覚でした。
 視覚は眼を見たい方向に向けなければ機能しません。テレビや新聞を見たいと思ったら方向を意識しなければなりません。しかし痛くて、その方向に体を向けることができません。眼をつぶって横になっているしかないのですから、視覚は役に立ちません。本を読むことさえ苦痛でできませんでした。
 触覚は触っているところは感じることができるのですが、神経がやられているために、「痛い」という感覚しかありません。この感覚は役に立たないどころか、苦痛という外乱を与えるだけです。
 味覚にはいつもの快適な味わいはありません。そのため食欲もあまりなく、今回のわずかなメリットとして6kgのダイエットになりました。
 嗅覚はほとんど使うことがありませんでした。正常な時には多分味覚と連動して料理を味わう時に重要な役割を果たしているはずですが。
 聴覚は素晴らしい。意識しなくても360度全方位からいろいろな音が聞こえます。近所の奥さんや子供さんの声、遠くから車や、家を建てる大工さんの作業の音、小学校からの先生の声・・・、音で近所の情景が俯瞰的に想像できるようです。そして朝、昼、夕、夜の音はそれぞれの特徴を持っています。音だけで風景画や映画を見るような想像力を与えてくれます。視覚だと視神経の構造から1点に集中する傾向がありますが、聴覚は全てを受け入れます。聴覚を意識すると素直に全てを受け入れ、全体的なバランス感覚も養えるような気がしてきました。

 最も痛くて動けない3日間、朝鶯が来まして艶のある鳴声を聞かせてくれました。これまで30年ほど住んでいますが、庭で鶯がこれほど素晴らしい声で鳴いてくれたのは初めてだと妻も云っていました。自然からのお見舞いと感謝しております。
 ラジオを久しぶりに聞きました。「ラジオ深夜便」という番組もはじめて通して聴きました。担当アナのおちついた語り口はテレビのバラエティで代表される、内容も落ち着きもないタレントの騒々しさとは別世界でした。また60年前の夏休みに、海へ泳ぎに行くときにいつも聞いていた「昼の憩い」のテーマ音楽がまだ続いているのに驚きました。一瞬にして小学生の時の感触が思い出されました。また「日曜名作座」で森繁久弥と加藤道子の絶妙な声色も10代の時の受験勉強逃れに聞いたことを思い出させてくれました。

 聴覚の持つ全方位性の感覚は意外と重要ではないでしょうか。最近は1点集中ということが成果を挙げる上で重要視されています。またハウトウものは限られたインプット情報のスマートな処理を目指しているものが多いようです。しかしこの傾向が、世界的な意味でも世代間においてもコミュニケーションがうまくいっていない大きな要因になっていないでしょうか。現代はコミュニケーションの重要性を叫びながら、古代ローマよりもコミュニケーションができていないのではないでしょうか。常にそれぞれの集団が限られたお題目だけを掲げ、他を否定している世の中になっているように感じるのは筆者だけでしょうか。

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